憂いと喜び
憂いと喜びは、しばしば表裏一体の関係にあります。 喜びが大きければ、そのぶん憂いもまた大きくなりやすいものです。
人生には選択があります。
喜びが大きいぶん憂いも伴う道を選ぶか、
喜びも憂いも少ない穏やかな道を選ぶか、
あるいはその中間を選ぶか。
どれが「正しい」ということはなく、その選択によって人生の善悪が決まるわけでもありません。 あくまで、それは選ぶ人間の性質や価値観によって変わるのです。
愛することの喜びと憂い
例えば「愛情深い人間」を目指すということ。それは、何もない日常の中にも大きな喜びを見出す力です。誰かと喜びを分かち合いたいと思うならば、人と繋がることは確かに望ましいものに見えるでしょう。
しかし、深く関わるということは、愛する人に不幸が訪れたとき、その苦しみも自分のものとなるということです。切り捨てることができない関係には、憂いもまた不可避に生まれます。
また、価値観の違いからくる対立や、自分と直接関係のない人間関係の煩わしさも増えていきます。良縁であれば救いになりますが、悪縁になることもあるでしょう。
孤独という選択
では、孤独の道はどうでしょうか。
人との距離を保つことで、確かに憂いは少なくなるかもしれません。人に振り回されず、自分を保つには、孤独はひとつの強みでもあります。
ただし、同時に人としての喜びもまた減ってしまう。人と心を通わせることで得られる充足感や感動は、距離があるほど味わいにくくなります。
リスクとリターン
このように考えると、人間関係の選択とは、良い部分だけを得る「総取り」は極めて難しいものだと分かります。
リスクとリターンのバランスに似ています。深い繋がりは、大きなリターンがある代わりに、大きなリスクも背負うことになる。一方、孤独を選ぶなら、リスクは少ないが、リターンもまた控えめです。
何かを得れば、何かを失う。
この現実からは、なかなか逃れられません。
自分の選択に誇りを持つ
だからこそ、人は自分に合った道を選び、選ばなかった他方を羨むのはやめるべきです。
どちらの道にも光と影がある。他人の人生が輝いて見えるのは、その人が抱える「影」が見えていないだけなのです。
他人の選択を尊重する
そして、他人が自分と違う選択をしたからといって、それを否定するべきではありません。
人には人の道があり、それは他人がどうこう言えるものではない。 私たちにできるのは、ただ「自分がどうするか」を考えることだけです。
なぜなら、他人に自分の考えを押し付けたところで、結局、誰も幸せにはならないからです。