地球があなたを孤独にした本当の理由―なぜ私たちは、誰にもわかってもらえないと感じるのか?

孤独とは「魂という存在の冒険のはじまり」

私達はそれぞれ独立した存在として、他人とは決して完全に重ならない道を歩いています。

それこそが「孤独」の本質です。

これは私達が生まれた時から死ぬまでの重要なテーマです。なぜなら「孤独」は誰もが経験するからです。「孤独」とは特別変わったものではなく地球では当然のことなのです。

孤独の旅はいずれ目的を達成する

孤独という旅には、必ず何らかの“目的”が用意されています。

あなたは生まれる前に必ず選択していることがあるのです。人は生まれた時点で答えを既に持っているのです。あなたの直感はそれを知っています。

それは人それぞれ異なるでしょう、しかし人は本来持つべきものを、いずれリアルな現実として体験することになります。

これは私達が孤独という現実を生きていることの特権です。あなたは決められたテーマや舞台の中で自由な振る舞いをすることができます。

なぜ人は持ちたいと思う物をすぐ手に入れられないか

全ての人が経験する孤独な旅とは、手順であり、最もリアルなゲームです。

ですが、こう考えたことがある人は多いのではないでしょうか?なぜもっと・・・と。しかし、逆に考えてみます。もし全てが完璧尽くしであれば、どうでしょうか?

あなたは何も疑問に思うこともなく、全てが幸せであり、何も不自由しない世界で、何も変えるべき要素を見つけられません。

これは苦しみ多い地球に生まれた私達が一見すると聞こえが良いように思えます。しかしその実は、もう山頂から山を昇ることができないが如く何もできない世界なのです。何をしても変わらない世界です。これが必ずしも本当に良い世界でしょうか?

全ての人はその世界に居続けることを何らかの理由で一時的に止めたのです。なぜなら完璧尽くしの世界では満足できなかった冒険者やチャレンジャーだからです。

ですから私達の生きる世界というのは、ある種の欠乏という体験を覚えます。これは一見災厄ですが、幸運の始まりなのです。

なぜなら闇がなければ光の美しさが分からないように、欠乏がなければ、充実という素晴らしさは体験できないからです。

孤独とは異なる「孤立」とは?避けるべき存在の危機

また「孤独」とは異なる「孤立」についてもお話しておきます。孤立とは他者とのやり取りが実質断たれ、他者に何も与えられなくなる状態です。

人は与えることで満たされる存在であり、孤立状態とはその正反対に位置することです。「孤独」と「孤立」は一見すると似た言葉に見えますが、その内実は全くことなります。

「孤独」は誰もが本来持っているものであり、無条件で私達が向き合う課題であり、恐れる必要のないものです。

しかし「孤立」は人間の存在自体を危うくします。なぜ人は働くことで対価が得られるのか?と考えたことはあるでしょうか。

それは雇用主やお客様がお金を払うからだ。とも言えますが突っ込み不足です。そもそもなぜ雇用主やお客様がお金を払うかというと、「何かをしてほしい与えてほしい」という欲求に働く側が答えているからです。

なぜ働くか?これを本当の意味で疑問に思う人は少ないでしょうが、この世界の根幹のルールに結びつく重要な仕組みを利用しているのです。

そのルールとは与えたものが、いずれ返ってくるというものです。

ですから与えられる状況を無くしてしまう「孤立」というのは人間にとって非常に憂慮すべきことなのです。

私は死ぬまで働け、と言うわけではありません。しかし、仮にお金にならなくとも何らかの方法で人と関わり合い、自分を社会に奉仕する場も持っておくというのは、とても重要なことです。

孤独とどう向き合うか、孤立を避け世界の仕組みを上手く活用せよ

では、私達は本来どうすることが良いのか?という結論に入りましょう。

まず私達は「孤独」を恐れる必要はありません。しかし「孤立」は避けるべきなのです。

「孤独」の中にあっても「孤立」を避け、人や社会に何らかの形で奉仕する時間を作る、これが重要です。

再度述べますが、私達の世界には必ず適用されるルールがあります。それは「与えたものが、いずれ返ってくる」ということです。

詰まるところこれが厳格な現実のルールです。

ですから、人に求められるものを多く提供できる人は、嫌でもいずれ世界の方から勝手に持ち上げられてしまいます。

自分が今の状況に満足できないという人は、まず、自分が何をどんな人に与えられるか?これを先に考えるべきです。

与えるものは物質的なものだけではありません、知恵、技術、満足感、あらゆるものをこの世界では与えることができます。

この世界が奪い合いのように見えるのは地球独特の低レベルな錯覚です。この世界は奪い合いではなく、与え合いが本来の姿なのです。

こうした錯覚が当たり前と考える人も少なくないですが、そのお陰でこの記事もまた輝くかもしれません。

総括として、自分が何を自分以外に与えられるかを考えて実行しましょう。というのが結論です。

人に優しく親切に接した時、小さな満足感が得られるように、僅かなものでも全然かまわないのです。

すぐに何かが返ってくる結果が見えない、それが地球という妙味のある場所ですが、私に騙されたと思って、与えても問題ないことから少しでも実践することをおススメいたします。

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