仕事や学業や趣味で、いかに手を抜くか、いかにサボるか、その重要性

私のケース

私事であるが、私は前職に就いていた時、仕事も趣味も全力で行っていた。
それを可能にしていたのが、持ち前の集中力と執着力である。

しかし、これは仕事や趣味でタスクが増えるほど仇となった。
気持ちではやりたいのに、体と精神がついて行かなかったのだ。
その結果が統合失調症の再発である。
これは今にして思うと自明の理であった。

普通の人が1で完結するところを、私は7や8まで手をかけていたからだ。
そうなった時に、今でこそ昔の私に鼻で笑われるであろうかもしれないが、
いかに手を抜く方法を考えるか、いかにサボる方法を身に着けるかである。

人間の性質

これは一般的で勤勉な日本人にはちょっと聞えが悪いかもしれないが、
人間誰しもが意識的か無意識的に行っていることなのだ。
ある人は体に変調をきたすのを感じて引っ込んだり、
ある人は自分のキャパシティが分かっていて意識的に休息を取る。

私の場合は特殊で、体や精神に変調をきたしても、
それが変調と意識できないか、変調の感覚がマヒしていたのである。
欲望には際限が無い。対して人間の活力は有限である。
だからよくよく気をつけねばならない、と古代中国の書にはある。
これは真実であり、

潰れるまで気づかない人間は少数派ではあるが実際存在するのだ。
それがメンタルクリニック行きの人間である。

普通の人はある程度の仕事で満足するか、
仕事を頭や体から引き離す時間を持つ。
近年は事情が変わって来ているし、私も嫌いだが酒もそれに該当する。
または、仕事のどこかでサボる時間が絶対あるはずだ。
でなければ人間は脆く壊れてしまう。

真面目な人間が損をするというのも真であり、
一直線の姿勢は破滅に近づく要因となる。

まずは手抜き

囲碁でも私の恩師が教えてくれた格言?があった。
それが「まず、手抜きを考えよ」だ。
手を抜いても大丈夫か真剣に考えることは非常に大切な視点なのだ。
囲碁というのは一手の効率を考えるゲームだから、
まず、手を抜くという発想が無いと効率を落としてしまう。

これは人生でも仕事でも同じで、
省略できる部分は惜しまず省略するという発想が大切である。
その上で初めて自分が着手することを考える。
それも一番効率的な方法を考える。

サボらないでも仕事や趣味を続けられるという人間も確かに存在する。
しかし、これも一部の人間だけであり一般化するのは間違いである。
そしてブレーキのついていない自転車は怖いものである。それと同じだ。

片や強制的なATSのように働く機能がついているのが一般的なメンタルだ。
だから、そんなものが作動する前に怠惰になれることは大切なのだ。
古代中国の偉人もよどんでいる方が澄み渡っていることより勝るとも語る。
その心とは、真面目100%で直進するのではなく、
自分を上手く怠けさせることができるかということである。

人間の世界は上手く出来ており、存続している全ての場所には、
休息できる時間や空間が存在する。
それは当然だ。それが無い場所は破滅して淘汰されてしまうからだ。

だからよくよく手を抜ける場所を観察する。
そして手を抜ける場所では、怠けていると自分を非難せずに手を抜く。
これが現代の処世術であり、生きる上で死なないための知恵である。

世の中は100%全力が好きな人間もいるが、
つま先立ちで歩く者が長く続かないことと同じく、
いつか上手く行かなくなる。
もし私が5~6年前に戻れたら、まず過去の私にこのことをよく言い聞かす。
そして自分が直進し続けた結果を真っ先に教える。

休むことと楽しいことは違う

また、楽しいからといって休むことにはならない。
休息とは心身が休まることを言う。楽しむことではない。
休む時間とは、その人間が最も負荷を感じない状態になることだ。
これは個人差があるから一概には言えないが、
私はまず、眠ることが一つの大きな休息だった。

しかし、人によっては何かをしている方が休息になるかもしれない。
私は本当に疲れると興奮して眠れなくなるから。寝るしかなかった。
そして疲れていると眠れないから、
まず、疲れることを止める必要があった。

そして今の私はゲームの大幅な開発も、
自らを追い込む過酷な状態を維持することもやめた。
だが、不思議なことに真面目な人間にとって100%は麻薬なのだ。
怖いことは私が怠けることを忘れてしまった時だ。
結果は予想がつくだろう。

重要なのは呼吸だ。手を抜いたり、緩急をつけたり。
ゆったりと構えたり、集中したり、
これらが適切に行える時、人はパフォーマンスを発揮できる。

私の過去

悲しいかな、私は子供の頃からこういう事があまり得意ではなかった。
楽しめる限り休まず泳ぎ続けるということが日常だったからだ。
楽しさこそ我が人生だった。が、楽は苦を、苦が楽を産む。
私の公的な成績は良しとは言えない。

それは能力が有る無しの問題ではなく、
方向性や呼吸のタイミングが一般人とズレていたのだ。
しかし、これは貴重な経験である。不幸を知っているから幸福がある。
闇がなければ輝きも分からない。
私はまた普通の日常に戻っていく道を進みつつある。
それが良いことかどうかは死んでからでないと分からない…

しかし、一つ言えることがある。私は少しづつ変わっていく、
そして世界も変わっていく。
唯一不変なこととは不変な事が存在しないことである。
だから私とゲームの関わり合いもどうなるかは定かではない。

今日はここまでとしよう。最後まで見ていただき感謝する。

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コメント

  1. 可笑師司 より:

    自分も環境もあって、そういう人間でした。しかし常に全力、常に世の中の敵視、裏を取る事を思い過ぎ、何の成果も出せませんでした。
    それから如何に他人の力を借りるか、如何に手を抜くかを考えるようになってから不思議と物事がいい方向に向かうようになってきました。きっと、直進してしまう人は能力があるゆえに、常に全力を求めてしまうのだと思います。
    そして自分だけの考えだとまた直進してしまうのではないかと思い、同じような想いを持つ人を探してここに辿り着きました。

    同じ想いでいてくれてありがとうございます。囲碁の昇段を祈っております。

  2. 山羊丸 より:

    可笑師司さんコメントありがとうございます!

    そうですね、自分の場合は寝なくてもある程度のパフォーマンスが発揮できてしまう
    ということが自分を追い込む要因の一つでした。
    ちょっと本題からはそれますが寝るのが苦手ということもあり(今でも)
    仕事でも趣味でも度を超して100%で活動してしまうことがあったのが悔やむ所です。
    結果はひどいものでしたが、今では少しずつ自分の限界を見定めるようにしています。