人類という一つの存在
我々人類は、ただの集合体ではなく、全体で一つの存在です。それは磁石の極性や虹の色のように、一部が欠けるということができないのです。
誰かが前を行けば、誰かが後ろをついてくる。誰かが急げば、誰かがゆっくりと進む。そのようにして、世界は絶妙なバランスで成り立っています。
したがって、下を蹴飛ばして上を賛美するような真似をすれば、それはやがて己の破滅を招きます。有史を振り返っても、人類はこうした歪な形を繰り返し好んできたように思えます。
本当の繁栄の条件
人類が本当の意味で繁栄するためには、以下のような視点が必要です。
- 富める者だけが利する社会を作ってはならない
- 貧しき者にも十分な糧が与えられなければならない
- 強者だけが称賛される社会であってはならない
- 弱者を虐げれば、社会全体が破滅を招く
- 鋭敏な者だけが評価されてはならない
- 愚鈍な者にも十分な支援がされていなければならない
自然の摂理に学ぶ
水は上から下へ流れていきます。 それは自然が描く、美しい調和の流れです。あたかも富める者が、不要なものを惜しまず与えるようなあり方です。
一方で、現代社会はこの自然の摂理に反し、強引に流れをせき止めてしまいます。不安定な重心をさらに高く高くと引き上げていくような構造なのです。
支え合うという関係性
本来、右手は左を、左手は右を支え合います。
上は下に支えられていることを理解し、常に足元に気を配らなければなりません。
下は、上がバランスを崩さないようしっかりと支える必要があります。
前へ進むためには、必ず後ろが存在して順序が保たれるものです。
私は雑草であることを選ぶ
もし人類がこの自然な秩序を無視した社会しか作れないのなら私はあえて世間の端くれ者であろうと思います。その方が、よほど賢明だからです。
巨木は強風にさらされれば折れてしまうこともあります。けれども、雑草はたなびくだけで済むのです。
屈曲した生き方の方が、安心して歩めます。
強ければ強いほど良いというわけではありません。富めば富むほど危うさは増していき。勝てば勝つほど、負ける者の痛みは増します。切り捨てれば切り捨てるほど、自らの足元が崩れていくのです。
すべての行いは返ってくる
天の網の目はいくらでもすり抜けられるように見えて、最終的にはすべてを包み込んでしまいます。あなたの持ち物をすべて天に持っていくことはできませんが、行いは必ず返ってきます。
人生の決算は、それが終わった後でなければ自ら審判を下すことはできません。そして、自分以外の存在に責任をなすりつけることはできないのです。