人生で無駄なことは起こらない、必ず必要なものが与えられる

必要なものが与えられる

人生における哲学として私が常々感じていることがあります。それは「必要なものは与えられる」という考え方です。

ここで言う「必要なもの」とは、単に物質的なものだけでなく、人間関係や自分にとっての機会――いわば総合的な環境を含みます。

経験はすべて意味がある

私自身の、まだ長くない人生を振り返っても、これまで得てきた経験のすべてが、必要不可欠だったと感じています。そしてそれは、私個人に限らず、すべての人にも当てはまると信じています。

この「必要なものが与えられる」という言葉に対して、プラスの出来事は、比較的すんなり受け入れられるでしょう。

たとえば、お金に困っていたときに、思わぬ助けが入った。冷えきった人間関係が、ある出来事をきっかけに回復した。こうした出来事は、「あの経験があったから今がある」と思いやすいものです。

マイナスの出来事の意味

難しいのは、マイナスの環境や経験に出会ったときです。

努力したのにあと一歩が届かなかった。順調だったのに、突然の病気で大きくつまずいた――こういったときには「そんなことがなければうまくいったのに」と思いたくなる。

けれども、私はそうした出来事もまた、偶然ではなく、必ず意味があると考えています。

死にかけた経験から得たもの

私自身、重い病を経験しました。その病気のせいで、文字通りに一度、死にかけたこともあります。

そこから普通の状態に戻るまでには、今にして思えば、並大抵の苦労ではありませんでした。絶望と向き合い続け、自殺した方が楽だと何度も思いました。それでも、私は死を選ばなかった。どこかで、自分と戦うことを無意識に決めていたのだと思います。

そうしてようやく、少しずつ人生にバランスが戻ってきました。それは、ほんの最近のことです。

だから私は、もう簡単には絶望に負けない。もう死ぬことも、特別怖いとは思わないのです。もちろん、痛みや苦しみは避けたいですが。

こう思えるようになったのも、生命のピンチを経験したからこそです。人生というのは、不必要なことは起こらない――私はそう信じています。

苦しみの中にある成長

私が学んだことは、マイナスの出来事が起こったときこそ、「それは自分の人生にとって何かしらの意味があるのではないか」と問い直すことの大切さでした。

もちろん、すぐに答えが出るとは限りません。特に、自分の価値観が揺らぐほどの出来事では、そんなふうに冷静に考えることすらできないものです。それでも私は、悲観的な出来事こそ、人生のチャンスであると感じています。

飛び立つためには屈む必要がある

苦しみの中にある時間は、いつか実りに変わる。飛び立つ前には、屈む必要があるように。成長のためには、ときに苦痛が必要になるのです。

そう考えると、人間の人生とは、何とも辛く思えるかもしれません。まるで、生涯をかけて修行しているかのようです。ですが、だからこそ「生きること」には深い価値がある。私はそう確信しています。

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