知識と知恵
必要ないものを、わざわざ知る必要はありません。必要が生まれてから知れば十分ですし、必要だと感じないものまで知りたがるのは、賢いとは言えないでしょう。
知識と知恵の違い
本当に知恵がある人は、物知りではありません。そして、物知りな人の多くは、大した知恵を持っていないものです。これは、我々の「知能の使い方の違い」を表していると言えるでしょう。
つまり、知能の多くを記憶に使っているか、
それともクリエイティブな能力に使っているかの差です。
囲碁に見る知識と直感
これは、私の趣味である囲碁にもそのまま当てはまります。たくさんの手を知っていることと、囲碁が強いことは、必ずしも比例しません。
もちろん、強い人はある程度の知識を持っています。しかし、それは知能が高い人が、ある程度の知識を自然に持つのと同じこと。本質的に重要なのは、知識の量ではなく、それを超えた能力です。
例えば、計算能力、センス、発想力、柔軟性―― そして最後には、その人の人間性が、強さに大きく関わってきます。
知識の限界とバランス
そうした意味で、「知識」は必要な分だけあればよいのです。私は決して、知識を得ること自体を否定しているわけではありません。知識を必要な分だけ集めることは、非常に大切です。
ただし、必要以上の知識を追いかける時間があるなら、その時間を使って、他の力を鍛える方が重要だと思うのです。
余計な知識の害
余計な知識を持ちすぎると、かえって思考の妨げになります。知識が先行することで、クリアな感覚で思考する力が鈍るのです。
知識が過剰になることは、身体における贅肉のようなもの。一見豊かに見えても、動きのキレや柔軟性を失わせます。
智慧ある者の在り方
ゆえに、本当の智慧者は、知識や富を必要以上に蓄えません。彼らは、自分の能力を人々のために使い、本当に大切なものを手に入れます。
そして、人々に与えることでかえって心は豊かになり、争うことなく物事を成し遂げていくのです。