日々誠実に生きる心がけと、いざという時、悪徳覚悟で実行する柔軟性

後ろめたい行動は必ずどこかで足を引っ張る

多くの人は普段、誠実であろうと努めます。それ自体はとても価値のあることです。なぜなら、普段の行いがすぐに結果に出ないとしても、後々になって大きな影響を及ぼすことがあるからです。

とくにそれが争いや闘争と絡んだとき、その影響力はより顕著になります。人は後ろめたいことがあると、そこを突かれると堂々と戦えません。そして無理に押し通そうとすると、破滅の道に転がり落ちる可能性すらあるのです。

たとえば、政治家のスキャンダルを思い浮かべてみてください。日頃から胡散臭い行動をしていれば、それが命取りになる場面は少なくありません。

日常では悪徳を遠ざける

損得の観点から見ても、日常における悪徳は極力避けるべきです。なぜなら、その小さな積み重ねが、いつどこで自分の足をすくうか分からないからです。

誠実な生き方というのは、単なる道徳的美徳ではありません。それは自分の人生を守るための防御でもあり、蓄積された信頼そのものなのです。

だが、ここぞという時には…

しかし、それでも人生には「ここを突破しなければならない」という重大局面があります。そういった瞬間には、多少の悪徳を覚悟してでも、強引に実行するという決断が必要なこともあるのです。

もちろんこれは、常にズルくあれという意味ではありません。むしろ逆です。普段から誠実でいるからこそ、人生の最も重要な場面で妥協せずに突破する力が生まれるのです。

つまり、真面目すぎても根っからの悪人でも良くないのです。

必要なのは、誠実さを土台としながら、人生の分岐点では“覚悟ある実行”ができる柔軟さなのです。

誠実と覚悟、その両輪

誠実に生きることは、人生を守る大きな盾となります。しかし、重大な場面では、時に強引な矛も必要になる。

その両方を持ち合わせたとき、初めて人生の本当の勝負所を乗り越えることができるのだと、私は考えています。

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