戦わずして利益を得る

常識を疑うところから始まる

世の中で何か大きなことを成し遂げようと考えるなら、
多くの人と逆のことを考えたり、非常識とも思えるような発想を持つ必要があります。
そもそも多くの人が競い合っている場所に自分も参加するということは、
競合する相手が多い分、厳しい戦いになることは間違いありません。
当然、損失もなく利益を得ることは簡単ではありません。

群れて競うことは避け、孤独を恐れはいけない

ですから、損失を覚悟で競争することに満足できるのであれば別ですが、
戦わずして勝ちたいと望むのであれば、群れて競ってはいけないと言えます。
誰も争っていない領域で先んじて動くからこそ、
戦わずして最大の利益を確保できる可能性が高くなるのです。
「戦わず」と言っても、闘争を最小限に抑えるという意味であり、
何もしないというわけではありません。

勝機はスピードに宿る

戦わずして勝つためには、スピードが重要な要素です。
ある物事に対して、多くの人よりも早く着目し、
競争が始まる前に、自分が他人より先に動いていなければなりません。
多くの人が注目し、競争が激しくなってから参加するのでは、
あまりにも遅すぎます。

注目されない場所にこそ価値がある

そして、人々が注目していない段階で、
先に資源を投資することで、大きなリードを得ることができます。
そのため、あまり注目されていない場所や物事にこそ価値があります。
誰もがすでに注目しているようなことは、
もはや大したチャンスにはなりません。

馬鹿げて見えることに真の価値がある

ですから、どこか馬鹿げて見えるような人の方が、むしろ面白い逸材と言えます。
常識に従順で優秀な人は、能力が高くても、
誰も注目しない場所に投資するという発想を持ちにくいのです。
端的に言えば、そういった人は「大利」を目指すタイプではありません。
一般の人々とはどこかズレた、馬鹿げた価値観やスケールを持った人こそが、
戦わずして得られる大きな利益を目指すのに向いているのです。

先行者利益という視点

マイナーだったものが一般的になり始めると、
先行していた人たちは、大きな利益を手にすることができます。

精神世界の哲学という「未踏の地」

私が精神世界の哲学に自分の資源を投資しているのも、
今の多くの一般人には理解されにくいことだと思っています。
もちろん、それには私なりの狙いがあります。
ひとつ目は、多くの人が争っている分野で競争しようとは思わないからです。
ふたつ目は、精神世界の哲学という分野が、将来的には今よりも一般化すると考えているからです。

趣味ではなく、未来への投資

もし仮に今の世の中に精神世界的な哲学の価値観が広まり、
それがすでに洗練されていたとしたら、
おそらく私は別のことに取り組んでいたことでしょう。
私が先んじて精神世界の哲学に注力しているのは、
単なる趣味や慈善活動としてではありません。
将来的に何らかの利益があると予感しているからなのです。

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