新世界について
近年、晩婚化や非婚化が加速し、少子高齢化が深刻な課題として語られています。
このままでは社会が持続しないのではないか、といった声も少なくありません。
では、いったい何が本質的な問題なのでしょうか。今回はその一面を考察してみたいと思います。
人が減っているのではなく、増えすぎた反動なのか?
なぜ結婚や出産の意欲が過去よりも低下したのか。
社会構造の変化や価値観の多様化など、専門家による様々な指摘はもっともでしょう。
しかし、あえて私の視点から一つ挙げるとすれば、それは「人が増えすぎた」という自然の反応なのではないかと思うのです。
生命とは、本来的にバランスを保とうとする性質を持っています。
これは道(タオ)とも言える原理であり、「満ちれば欠け、欠ければ補う」という自然の働きそのものです。
そう考えると、今の日本社会では“満ちすぎた状態”が続いており、
あえて言えば、生命が次を生み出そうとする根源的な力が鈍くなっているのかもしれません。
極端な仮説が示すこと
もしも、私が絶対的な力を持つ存在で、日本の少子化を何としてでも止めなければならないという極端な仮説を立てたとします。
その場合、「人を減らすことで、次を生み出そうとする力を呼び戻す」という考え方が、理屈としては成り立つかもしれません。
もちろん、これはあくまで比喩的な思考実験であり、現実に許容される話ではありません。
ただ、過去の人類の歴史をふり返れば、意図せずして似たような淘汰が起きていたとも言えます。
それが戦争、医療の未発達、生活環境の劣悪さなどに起因した人口調整です。
しかし現代において、そのような非人道的な方法を再び選ぶことには当然、全く意味がありません。
むしろ、我々は今、新しいフェーズへと移行しつつあるのです。
人類の次なる段階
私の仮説では、今後50年のうちに人類は「老化」や「自然死」という現象をある程度制御できる時代に入ると考えています。
このような未来が現実化すれば、これまで人間が生物的本能から「子孫を残す」ことを宿命としていた構造が、根本的に変化する可能性があります。
なぜなら、死の確率が低くなれば「増やさなければならない」という生存戦略が必要でなくなるからです。
若さが維持され、寿命が延びる世界では、繁殖や結婚はもはや義務ではなく、純粋な選択肢の一つになるでしょう。
今は橋渡しの時代
今という時代は、「旧来の地球的な価値観」と「これから始まる新世界」との橋渡しの時期にあるのだと、私は感じます。
少子化や非婚化が加速しているのは、単なる社会の衰退ではなく、人類が新たな生存モデルへ移行する前兆なのかもしれません。
人間社会は今、これまでの動物的な進化の段階から、次なる文明的・知的進化の段階へと差し掛かっているのです。
我々の役割
だからこそ、今を生きる私たちの世代には、旧世界から脱し、新たな倫理・生存原理の雛形を形作っていく役割があるのではないでしょうか。
社会のあり方が変わる時期に生きるというのは、決して楽なことではありません。
しかし、それは単なる衰退ではなく、新たな可能性へと進む一歩であると捉えることもできるのです。