生活保護への批判を考えるーー怒りの矛先は本当に底辺に向けるべきか

立ち止まって考える「怒りの矛先」

生活保護の減額に対し、補償金が支払われるという裁判の結果が出ました。ニュースで取り上げられ、話題になりましたが、コメント欄には

「働かずに金をもらえるなんて不公平だ」

「真面目に働く人が損をする」

というような声が多く見られました。

こう感じてしまうこと自体は、決しておかしなことではないと思います。生活が苦しい中で働いている方にとって、制度が不公平に見えるのも自然なことでしょう。

誰しもがギリギリで暮らしていて、ちょっとしたズレが「怒り」や「疑問」につながってしまうのは、よく分かります。

ですが、ここで少しだけ立ち止まってみてほしいのです。

怒りはなぜ“弱者”に向かうのか

なぜ、このような怒りの矛先は、生活保護を受けている人のような、目の前の弱者に向かいやすいのでしょうか。どうして、もっと大きな力を持っている存在や仕組みには、怒りが向かないのでしょうか。

私はAIとこの話題について語り合いました。

その中で気づいたのは、人々の思考そのものが、ある構造の中で形作られているということです。

たとえば現代社会は、「自己責任」「競争」「優劣」などの価値観を前提に動いています。そうした前提が当たり前になると、「人より楽してるかも=ズルい」という印象が強まり、生活保護といった制度も「助け」ではなく「甘え」として捉えられやすくなっていきます。

問題は“構造”にある

ここで大切なのは、その感情自体が悪いわけではないということです。そう感じてしまうような構造が、そもそも問題なのです。

社会の中には、分断や対立を前提にした仕組みが数多く存在しています。人と人が対立することで、誰かが得をしている。そういう社会構造があるのではないでしょうか。

実際に、特定の層――いわゆる「社会的強者」が、結果的に大きな利益を得ているという事実をAIも指摘します。そして、その不満や怒りが「上」にではなく「横」や「下」に向かうことで、この構造は守られ続けているのです。

なぜなら「上」にいる者にとっては、多くの人に不満を抱かれることが最大の脅威ですし、「上」を目指している人にとっても、それは自分の利益を潰す利敵行為になりかねないからです。

こうした構造は、強者にとって有利なように分かりにくく、あまり目立たないよう設計されているのです。

安易に結論を出さず、なぜ?という問いを持つ

もちろん、この見方がすべてではありません。現実はもっと複雑で、多くの要素が絡み合っています。

だからこそ、自分の一時的な感情や世間の流れに流されるのではなく、
一度立ち止まることも大切なのではないでしょうか。

なぜ自分はこう感じるのか?

その感情はどこから来たのか?

本来原因は、どこにあるのか?

こうした問いを持つことこそが、問題の本質的解決に迫る第一歩だと私は考えます。

“正しさで進む”よりも、“立ち止まる勇気”

私の言葉だけで、皆さんの考えを変えることは難しいかもしれません。ですが、視点を変えるきっかけくらいにはなるかもしれません。

自らの「正しさ」を主張する前に、まず立ち止まり、問い直すこと。怒りをぶつける前に「なぜこの怒りが生まれたのか」を考えてみること。その怒りはどこから来て、本来どこへ向かうべきなのか?

それを見据えた時、人は軽率に批判することなく、より本質的な問題と向き合えるようになるのではないでしょうか。

明日は我が身だからこそ

「明日は我が身」誰もが、いつ今批判している立場になるかもしれない。だからこそ、私たちは冷静に、慎重に、“構造の本質”と向き合う視点を持っていたいと思うのです。

今、人間の生活という根幹の問題が浮かび上がっているこの時代に、誰かが立ち止まり、本質を見つめ、考え直す―― そんな社会であることを、私は願っています。

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