進化版天動説
※今回は信頼性の低い記事です。
あまり本気で読まないでください。あくまで個人的体験としての事実であり、科学的根拠は皆無です。
かなり前の話になりますが、私は一度だけ、瞑想中に奇妙なビジョンを見たことがあります。それはまるで「起きている間に見る夢」のような、映像的な体験でした。
そのビジョンの中で私は、太陽系の構造が単なる天体の並びではなく、人間の身体構造と密接な関係を持つ有機体のようなものとして感じられたのです。
たとえば、体内の臓器が互いに影響を与え合うように、太陽や惑星たちも互いに連動して作用し合っている。それぞれが独立した存在ではなく、ひとつの“生命体”としてつながっている。そんな印象でした。
天動説の「再来」?
さらに印象的だったのは、地球の運行を中心に、太陽や他の惑星が動いているという感覚です。つまり「惑星たちが地球に合わせて動いている」というビジョンです。
これは一見、かつての天動説のようにも見えます。 ただし、完全に古典的な天動説ではなく、もっと有機的で動的な仕組みとして感じられたため、私はこの考えを「新天動説(進化版天動説)」と呼んでみました。
もちろん、このような見方は現代科学においては異端とされるでしょう。ですが、現在の地動説もまた、あくまで人間の観測可能な範囲における理解にすぎないのではないか。そう考えたのです。
相対的な視点と「真実」
私が伝えたいのは、「地動説が間違っている」と主張することではありません。むしろ、地動説は現在の人間の視点における事実として間違っていないと考えています。
しかし人間の活動領域が広がり、観察の視点が変化すれば、今とはまったく異なる解釈が生まれることもあるはずです。
たとえば、コップを上から見ると円に見え、横から見ると長方形に見えるように――
視点が変われば、同じものも違って見える。
新天動説と地動説の関係も、
これに近いのではないかと私は思います。
知識の限界と謙虚さ
この宇宙におけるあらゆる事象は、本質的に相対的なものです。しかしながら、多くの人は今の常識や定説を「絶対的な真実」として疑わない傾向にあります。
しかし人間の知識は、あくまで断片的なものに過ぎません。完成された叡智を人間は持っていないと、私は考えます。
その自覚――すなわち、自分は何も分かっていないという自覚こそが、宇宙の摂理に触れるための第一歩なのではないでしょうか。
結論は保留のままで
最後に強調しておきたいのは、「私の見た新天動説のビジョンが正しい」と言いたいわけではないということです。
それはあくまで個人的な体験であり、錯覚や脳内現象の一つかもしれません。ですが、それが間違いか正しいかを、はっきり断定できるほどの知識や理解を人間が本当に持っているのか――
私はむしろ、そのことを問いたいのです。
決めつけず、保留しておく。
そして、自分は愚かであるという前提で世界を観察する。それが賢明な態度だと、私は思うのです。