私は天国と地獄の例え話として、以下のような内容を見たことがあります。
ある人が天国と書かれた扉と、地獄と書かれた扉の前に立っていました。
まず、彼は地獄の扉を開けてみました。
すると食卓に人々が腰掛けていて、
人々は椅子に体を縛られて腕だけ動かせるようになっていました。
人々の腕には長い箸が巻きつけられていて、
それが邪魔になって一人ではうまく食事ができませんでした。
人々は皆四苦八苦して食事をしようとするのが地獄でした。
次に彼は天国の扉を開けてみました。
彼が目にした人々は同じ状態でした。
ただ一つ違ったのは、長い箸を使って他人の口に食事を運ぶ姿でした。
するとそれを食べた人のお返しに、食べさせてくれた人にも食事を運んでいました。
そして、人々は皆が満腹になるまで食事を行い皆満足していたのです。
めでたし、めでたし。
これは、この世界の真理を端的に表した例え話だと思います。
世の中では少なからず地獄と同じような生き方に従っている方もいるのではないでしょうか。
それどころ現実はもっとひどいかもしれません。
箸を使って傷つけあってるかもしれないし、
もっとひどい人間となると、食べ物を運んでくれた人間を傷つける真似さえします。
そして、最も下劣な人間はそれを見て喜ぶかもしれません。
この箸が能力や富という言葉に置き換えると、現実にも応用できる話だと思います。
せっかく箸という道具があるのに、
誰のためにもならないどころか、かえって害のある使い方をしてしまうのです。
この話を見て、馬鹿馬鹿しいと思うか、一理あるなと思えるかで
その人の生き方の選択肢が変わってくるかもしれません。
また、脳内の構造として与えることは、とても幸せを感じやすいという利点があります。
人は与えたことをよく覚えていて、それは与えることが天国の入り口にあると私は考えます。
これは一見利他的なようですが、実に利己的な行いなのです。
過去の賢人はそれを理解していました。だから与えることを躊躇しないのです。