本当に知っている人は教えない

私はまだ30代であるが、十何年も自己について研鑽の日々を送ってきたつもりだ。その中で気付いたことがある。それは本当に物事を知っている人、つまり本物は教えないということだ。

なぜそのような結論になってしまうのか、これは自己がある程度、成長した人間だけが気付くことがある(私はまだ未熟者だからこのような記事を書いてしまう)

それは人は千差万別で完全な選択など存在しないことに気づくからだ。ある人にとっては毒にもなるし、ある人にとっては薬にもなる。このような結果は科学的にも当然の帰結である。

だからまず完成された人間は自分から教えようとしない、さらに他人から求められても拒絶する。これは自己防衛本能の働きである。もし相手にとっての毒を渡してしまうことになったら、自分が罪を犯すことになる。また、他人を自分の力でサポートすることは依存を招く。

従って、本当に価値のあることは世の中では伏せられている。それを自ら開けて突っ込んで自爆するのは当人の勝手だが、完成された人間は決して安易に道を示したりしない。

つまるところ人は、元々持っている運命からは逃れられない。それが悲劇的なものであっても解決するのはあくまで当人の問題なのだ。だから安易に手を差し伸べることは、その人間自身への冒涜となる。

熟練した医師が軽々に人の体を扱わないように、完成された人間は軽々に人の道を扱わない。もし道を安易に示している人間がいれば、それはよくよく疑った方がいい。それでも信じるならば、後は運を天に任せる他ない。

結局のところは運なのだ。世の中で成功したと言われる人間もそう。私みたいに傍から見たら地べたを這いずり回っている人間もそう。それを認めなくてはならない。成功した人間は自分の実力が全てを支配していると考えたいだろうが、それは運命に対する冒涜である。また弱い人間がいたずらに自分の弱さに理由を求めることも運命に対する冒涜である。

だから本当のことは秘密にするし、秘密にされる、世界は本当のことを拒絶し、歪んだまま理解できない世界になる。これが現実なのだ。だから軽々に決めつけるべきではない。

私も私の秘密を持つし、他人は他人の秘密を持つ、そこはイーブンであり平等なのだ。それでいい。他人の人生を歩くことはできないように、自分の人生を他人に歩かせることもできない。たとえどんなに近しい人間であってもだ。

万能薬は存在しない。自分の真実は自分が生きていく中で自分で気づかなければならない。人はそれぞれの真実を既に持っている。だから誰からも教わらなくても自分で見つけなくてはならないかもしれない。それがこの世界の非情さなのだ。

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