統合失調症体験記。統合失調症発症~閉鎖病棟へ措置入院までの一連の出来事

私は2回程「統合失調症」の急性期(発作状態)になったことがあるが、
その中で、最初の初発の際の出来事について書こうと思う。

統合失調症発症~

当時私は19歳で、大学に通いつつ、MMOにハマっていた。
そのMMOは韓国製で陳腐な物であったが、
当時の私としてはそのゲームが人生そのものであった。
その負担が大きくなりゲームを辞めて数か月してから統合失調症になった。

実はこの当時の前後関係というのはよく覚えていない。
断片的に記憶が飛んでいるためである。
しかし、周りの証言からするに、ゲームの廃人になりつつある学生。
という印象を持たれていたようだ。

私は奇行を繰り返す日々が続き、ある日突然「行かなきゃ」と言ったらしく、
その数瞬後、家族の必死の抵抗も振り切って自宅の2階の窓から飛び降りた。
不思議だったのは、落ちた先がクチナシの木の上で、
私を支えるように生えていたことだった。
これは後に母が語ったのだが、菩薩の手に抱かれるように落ちていたらしい。

私はそれによって一命をとり止めたわけだが、
内部から来る死への欲求によって暴れ始めたらしい。
私にとっては死こそ苦しみの解放の手段と思っていたと推察できる。

そして私は警官に取り押さえられ、警察署から連絡を取ってもらい、
都立松沢病院に措置入院という形で閉鎖病棟に入ることとなる。

閉鎖病棟に入院・・・

この閉鎖病棟というのは重症も重症の精神疾患者が集まるところで、
言ってしまえば狂気の巣窟のような場所である。
しかし、私はこのとき松沢病院に入る際に厳重なチェックの元、
本人の同意を得て入ったのだ。
これは全く記憶にないことだが、母の証言から間違いないらしい。

この松沢の閉鎖病棟がどういう所かと言うと、
6畳程度の一室に分厚い金属製の扉があって、
そこからしか病院スタッフへコンタクトできない部屋になっている。
また、洋式の水洗トイレが一機あって、それ以外何もない場所である。
私はそこで約2か月過ごすことになる。

普通常人がこんな所に入るとしたら刑務所と同等以下の扱いである。
そこで私はどんな気持ちで生活というか療養していたかというと、
不思議と楽観的で苦しい環境だとは思わなかったのである。
むしろ一番苦しかったのは
「統合失調症」の急性期の2回目、再発後の極度の不安との対峙であった。

閉鎖病棟での心境と人生最大の屈辱

今でこそ閉鎖病棟とは退屈しそうな場所だなと思う方もいると思うが、
病気時の私は苦しくなかったのである。
ただ唯一、一つだけ人生の最大の屈辱に直面したことはあった。
それはトイレの水を飲んでしまったことである。

何らかの理由で水を提供できない(電気療法前かもしれない)時があり、
何度スタッフへ問い詰めても、今日は水を飲ませられないの一点張りだった。
死ぬほど水が欲しかった私は、砂漠で干からびるのと同じ状態になり、
水水水で頭がいっぱいになってしまった。

覚悟を決めた私は水洗トイレの水を飲むことにした。
正直言って自殺よりも必死な覚悟であった。
2回トイレの水を流すと、おもむろに手で水をすくいとり一口だけ水を飲んだ。
その時の体の充足感は、まだおぼろげながら忘れていない。

スタッフはトイレの水なんか飲んじゃダメよ。汚いから。と一言。
そんなことだったら最初から明日は水を飲めない日と宣言するとか、
ほんの僅かでも水をくれたらな、と今では思う。
これが私の人生で唯一のどん底での屈辱であった。

それ以降は特に問題もなく。安定した入院生活を送り、
振り返ってみれば一瞬の出来事であった。
そしてその生活と今の生活を比較すれば自由度は飛躍的に上がっただろう。

しかし幸福度という観点からすると、メチャクチャに変わったとは言えない。
私の今の生活は入院時から見れば恵まれている。
しかし、入院していた時は三度のご飯が何よりの楽しみであったし、
牢獄のような生き方をしていても人間としての本質は変わらないのだ。

つまり、生きているというだけで人はそう感覚が変わらないものなのだ。

むしろ辛かったのは前述の通り、極度の不安と自分が共存する時だった。
この時は流石に我慢強い私も白旗だった。
なにせ生きること自体が人間の想像の中にある地獄と変わらなかったからだ。
しかし、それは病気が回復するにつれ、
また、抗不安薬を飲むことによって解消されていったのである。

統合失調症を経験してきて

私は実際に色々な経験をしている存在だ。
物理的に死に近づいたこともあるし、天国のような経験をしたこともある。
どん底のような生活をしたこともあるし、平凡な日常も送っているし、
周りから見れば平凡でも、地獄で恐怖と闘うような悲惨な目にもあっている。

こう色々な経験を重ねるにつれ言えることは、
人生、山あり谷ありあって当然。
そして人間の問題とはいずれ解決する手段が出てくるということである。
その中で辛い時は耐える時間がどうしても出てきてしまうことである。

だから時間が解決するというのは一つの真理で、
明日は明日の風が吹くということだ。
そして人間が人間である以上それは変えられない。
逆に盛者も必衰であり、いつかは崩れさる。

だからこれを見ている方も、あまり気張らなくていい。
変化するということ自体が不変であるから、
例えどんな状況になっても、変化からは逃れらない。
悪い変化になってしまった時は、
あーやっちゃたな・・・まぁでもしょうがないかぁでいいのだ。
100年過ぎ去れば、あなたも自然ともうここからいなくなっている。

ただ私はあの世に行った時、人生ちゃんと頑張った賞を取りたいので、
絶対にこれから自殺や犯罪はしないと決意している。

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