感情を抑えられないのは観念が変えられないから。ニュートラルな見方とは。

感情とは観念の鏡である

感情とは、私たちが抱いている観念(信じている思考パターン)の鏡です。観念がなければ、感情は生まれません。

例えば、誰かに「バカだね」と言われて腹が立つとしましょう。これは「バカであることは悪いことだ」という観念を自分が持っているからこそ起こる反応です。

反対に、「バカ」という言葉を「気楽な人」としてポジティブに捉える人であれば、まったく怒りを感じないかもしれません。つまり、感情は外からの刺激に対する“自分自身の意味付け”に過ぎないのです。

感情を変えるには観念を変えるしかない

感情をコントロールしたければ、観念を見直すことが唯一の方法です。

智慧ある人の観念とは、何かに強くとらわれることなく、柔軟で中立的です。たとえ「あなたはバカですね」と言われても、ただ「そうですね」と受け入れ、否定も肯定もしないことができます。

それは、物事に「良い」「悪い」のラベルを貼る癖から自由になっているからです。このように心が囚われなければ、内面に葛藤は生まれず、穏やかさを保てるのです。

物事には利点と欠点の両方がある

どうすればそうした観念を持てるようになるのでしょうか?

まず一つの方法として、物事を善悪や正誤だけで判断しないことが挙げられます。どんな出来事にも、必ず利点と欠点があります。視点を一方向に固定せず、常に多面的に見る訓練が必要です。

例えば「バカ」と言われることさえ、それを額面通りに受け取らなければ違った意味が生まれます。「余計なことを考えないシンプルさ」や「他人の目を気にしない自由さ」は、ある意味“悟り”にも近いかもしれません。

これは、いわゆるリフレーミング(見方の枠組みを変える)というテクニックです。

利点も欠点も見ることがニュートラルな心を育てる

ただし私は、単に「良い面だけを見る」ことを勧めているわけではありません。利点と欠点の両方を素直に見つめることが、本当の意味で心の中立性を育てると考えています。

どんな物事にも両面があり、それを見失わなければ、私たちは必要以上に感情に揺さぶられることはありません。そして、そのような視点を持つことこそが、「道」を生きるうえでの内なる宝であり、精神の成熟なのです。

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