区役所を訪ねてから二人の生活が始まった。
善田はIT系企業の社内エンジニアで、比較的緩やかな本社で働いていた。
給与面はそこそこだが、急な休みも取りやすく、いつでも動ける体制であり、
拘束時間もほぼ定時帰宅でき、
時にリモートワークする日もあるハイブリッド型のポジションだった。
実家は裕福であり、無理をしたくない善田にとっては絶好の職場であった。
一方の道的は朝と昼は善田の個人PCでAIと評価値の研究。
夕、夜は対局サイトで武者修行を続けていた。
一通りの生活形式にも道的は慣れはじめ、
特にトイレのウォシュレット機能に感激したりしていた。
買い物も最初は善田が全て行っていたが、毎回善田に世話になっては悪いと思い、
善田の馴染みのスーパーならば、その辺を見渡して自分が食べるものを買うことや、
洗濯程度の家事は率先して手伝うなど、生活にも貢献した。
善田も毎日ソファーで寝るのでは疲れが取れないので、
道的と交代で寝床を変えるようにした。
囲碁の研究をするうち、AIの深い形勢判断力と手の幅広さを痛感した道的は、
囲碁の無限大の可能性にあらためて敬意を表し、
師の教えを越えた先を目指そうと決意を新たにしていた。
道的の対局サイトのレーティングは8段まで上がっていた。
その内、負けた対局はクリックミスをした一局のみ。
猿も木から落ちるとはこのことかもしれない。
しかし碁の内容で負けたことは一度もなかった。
連勝記録は77勝。文句なしの最強棋士である。
一週間程時が経ち、区役所から連絡が入った。
内容は区役所に来てほしいとのことだった。
善田が日程を調整して区役所に伝えると、快く応じてくれた。
指定された日に区役所に行くことを知らされた日、道的はスーツを求めてきた。
どうやら現代のフォーマルな服装を着用したいらしい。
ある日の夜、スーツを売っている店に二人で出掛けると、
とりあえず背丈にあったスーツを見つけ、
ちょうど股下もピッタリのサイズがあったため即購入することにした。
二人ともスーツ姿で出掛けると、道的は現代がなんだか楽しい場所に思えてきた。
区役所に着くと一転して少し緊張感が増して来た。
それは善田も同じである。
「相談員様とのお約束で15時から来るように言われた善田ですが」
善田は窓口に申し出た。
「少々お待ちください」
奥から相談員の女性が出てきた。
「こちらへどうぞ」
善田達を相談ブースへと導いた。
さっそく善田達は挨拶をかわし席へと座ると相談員の話に注意を向けた。
「ご事情は伺っております。」
「今回のケースでは外国の方の転入という形でお話をさせていただきます」
「ただし、あくまで善田様を世帯主とした特殊ケースとなりますので」
「名義は善田道的様という形で転入届とさせていただきます」
善田は言われた通りの書類に必要事項を記載し、
求められて取りまとめてきた必要書類を全て提出した。
「ありがとうございます」
一応であるがこれで、道的の生存権は保てたようだ。
善田と道的は内心ほっとして緊張の糸が少し緩まった。
「今後のことについてですが、必要書類を転送するのにお時間をいただきます」
「時期が来ましたら再来訪をお願いすることがあるかもしれませんが、よろしくお願いします」
二人は丁寧にお辞儀をし挨拶をすると、区役所を後にした。
「これで、大丈夫なんでしょうかね?」
道的が不安げな声で聞いてきた。
「一応筋は通しているから、っていうかこれしかできなかったんだけど・・・」
「まぁ、殺される心配は無い国だから安心していいと思うよ」
道的は少し安心した様子で帰路に入った。
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