はじめに:なぜこの記事を書くのか
最近、貧困や高齢者の苦境を伝える番組や記事をよく目にします。
現実として大切な問題であることは間違いありませんが、見ていて次のように感じることがあります。
・不安だけが残る
・何を考え、何をすればいいのか分からない
・ただ気分が重くなる
この記事は、不安を煽るためでも、誰かを叩くためでもありません。
もう少し建設的に考える方法はないのか、その視点を整理するために書いています。
今の問題は「意見が多すぎる」ことではない
今の社会には、意見そのものは十分にあります。
・怒りに満ちた意見
・誰かを責める意見
・感情のはけ口のような意見
一方で、
・状況を整理しようとする意見
・影響範囲を考えた意見
・代わりの案を提示している意見
こうした考える材料になる意見は、ノイズの中に埋もれがちです。
問題は、意見が足りないことではありません。
どの意見を判断材料として使うのかが整理されていないことだと私は思います。
「すべての意見を同じ重さで扱う」ことの限界
民主主義では、誰でも意見を言えることが大切です。
しかしそれは、
すべての意見が、同じ価値を持つ
という意味ではありません。
・感情だけで発せられた怒り
・事実を誤解した主張
・弱い立場の人を一方的に切り捨てる意見
これらは、社会の判断材料としては使いにくいのが現実です。
言ってはいけないのではなく、
判断に使うには情報が足りないというだけです。
ここでAIが役に立つ可能性
AIにすべてを決めさせたいわけではありません。
ただし、次のような役割であれば意味があると考えます。
・意見を整理する
・同じ論点をまとめる
・感情的な部分と、思考の部分を分ける
つまり、AIを結論を出す存在ではなく、整理係として使うという発想です。
それだけでも、社会の議論はかなり落ち着くはずです。
ここで言う「建設的な意見」とは
建設的な意見とは、優しい意見のことではありません。
最低限、次の条件を満たしているものです。
・現実の制度や状況を理解しようとしている
・自分以外の人への影響を考えている
・問題点だけでなく、代わりの案がある
・弱い立場の人を単純な自己責任論で切り捨てていない
厳しい意見であっても、これを満たしていれば、
十分に社会の判断材料として残す価値があります。
なぜ弱い人を叩く声が減るのか
弱い立場の人を叩く意見の多くは、
・怒りが先に立っている
・原因と結果が整理されていない
・「ではどうするのか」が示されていない
こうした特徴を持っています。
意見を整理していくと、これらは自然に判断材料から外れます。
一方で、
・不正をどう防ぐか
・制度をどう改善するか
といった厳しいが筋の通った意見は残ります。
これは甘い社会を作る話ではなく、
無駄な攻撃を減らすための話です。
この仕組みは誰がやるべきか
正直に言えば、このような仕組みは個人では作れません。
・資金
・技術
・継続的な運用
すべてが必要です。
この記事は「今すぐ作ろう」という呼びかけではありません。
将来、誰かが本気で作るときの参考になる考え方を残すことが目的です。
おわりに
AIが社会を良くするかどうかは、正直分かりません。
しかし、
・何を良い議論とするのか
・何を判断材料とするのか
その基準を考えることはできます。
この記事は、その基準についての一つのたたき台です。