02_現代

そこから今日の日本の状況を善田は話した。
近代までの基礎的な歴史、それから今起こっているAIの変化についても話した。
時計の針は夜1時を回っていた。

「大体分かりました。どうやら私は350年後に何かのきっかけで来てしまったようです」
「元いた場所に戻りたいですが」
「方法が無いようなので、宿を貸していただけませんか」

善田は少し困惑したが、他に方法もなくとりあえず道的の意見を汲み取ることにした。

道的は一晩、善田の家に泊まった。
胸中ではこれからどうしようか?とも思っていたが、
驚きの連続で疲れたことでぐっすり寝てしまった。
善田はたまたま翌日が休みのため、道的を外に連れて出すことにした。
現代はどう変わったのか道的に見せようと思ったのだ。

善田が住んでいる場所は23区の郊外、
いわゆる23区の住宅街の部分だった。
善田はとりあえず現代の日常がどんなものであるか、
それを道的に知ってもうおうと考えた。

「道的さん、とりあえず俺のラフな普段着が着れそうだからこっちに着替えてよ」
「それから足の長さは測って靴は揃えるけど、今はとりあえずサンダルで我慢して」
「今時期は春だからそれほど冷え込まないし、暑くもないから良かった」

道的は善田の言われるままに身支度を整えた。

「とりあえず、外に出て散歩がてら見物でもしよう、俺がついていくよ」

善田がしきりに小さな端末を気にしているので道的はつい質問した。

「あの、それはなんですか?」

善田は答えた。

「あぁこれ?これはスマホっていって、昨日の囲碁打った相手みたいのを小さくしたやつ」

「ええ!」

思わず道的は声を上げた。

こんな小さな物体の中に、あの強敵がいるのかと思うと道的は恐ろしくなった。

「それ以外にも、時刻を教えてくれたり、道案内をしてくれたり」
「これにも色々な機能がついてる」

はぁという感想しか道的には無かった。もはや仙人が住む世界に来たと思ったからだ。

「とりあえず、外出てみよう、今日は天気も悪くないから散歩日和だ」
「あ、でもちゃんと俺の後についてきてね、江戸時代とは交通のルールが違うから」

道的は言われるがままに、外に出てみた。景色は江戸とは一変していた。
まず、建物が高すぎる。そこら中にマンションが立ち並んでいた。
地面は土が見えずアスファルトで覆われているし、路上では車が走っていた。
道的は動揺を隠せなかった。

「あの、ここは本当に江戸の350年後なんですか?」

道的は思わず聞いた。

「そうねー大体350年ぐらいじゃない?最近は時代の変化が早くてねぇ」

そっけなく善田は答えた。

「とりあえず、現代のよろずやにでも入ってみる?」

善田は道的に尋ねてみた。

「お願いします」

他に返しようもなく道的は答えた。

善田は近所のスーパーに道的を連れて行った。
ところ狭しと並べられた豊富な商品。陳列された商品を見て道的は目が眩んだ。

「ここで俺は大体の物を買ってる、近いし安いからね」
「大体なんでも売ってるけど、何かこの中で欲しいものはある?」

道的はそれどころではなかった。
陳列された商品を一つ一つ見るだけで精一杯だった。

「今は特にありません」

道的は答えた。

「あ、そう、じゃあ俺はいつも通り夕飯の惣菜とかでも買うかな、道的さんの分も買うよ」

善田は軽い調子で言った。

ひとしきり買い物を済ませた後、善田と道的は帰路に入った。
道的は上を見上げ、変わらないのは空だけだ。
自分はなぜこんなところに来たのだろうと考えた。
善田はPCに詳しかった。道的が本物であるならばAIを使って道的の碁を現代風にしてみたい、
あわよくば道的をプロにさせて自分がマネージャーを務めるのも悪くない。
と、早速腹黒く心の底で妙案を練っていた。

「あの」
「ねぇ」

二人の質問がぶつかった。

「あぁ、ごめんごめん先どうぞ」

善田は慌てた様子で道的に話を譲った。

「すいません、私はここに来て何も分からない状態で、一文なしで宿もありません」
「現代で生きる術を教えていただけないでしょうか」

善田はニヤっとして答えた。

「道的さんの強さなら囲碁の専門家であるプロになって、それで生活していけるよ」
「現代の打ち方を学べば道的さんはもっと強くなるし、敵なしだよ」
「碁だけ打って食べていけるんだから、羨ましいなぁ」

道的は少し考えて、自分には碁しか頼るものも、分かるものが無い。
現代でも通用するのは碁の強さだけだと思い。善田の提案を受け入れることにした。

二人は家に戻ると善田は早速昨日のPCを持ち出して説明した。
「この中に入っている碁打ちは昨日は弱い方だったけど、もっと強いのを出すよ」
「しかも、対局中に検討付きで手を教えてくれる本格的なやつだ」

善田は新しいソフトの使い方とPCの基本的操作を道的に教え始めた。
若い道的にとっては、最初は得体のしれない物体だったが、
碁を打つことができることを知って、不思議とワクワクしていた。
善田は現代のAIは勝率と評価値で形勢判断していることを教え、
評価値の高い手ほど有利な局面を作りやすいことを伝えた。

道的は師の道策と打っていた時とは違う何か変わった強さをAIから感じていた。
こんな手の勝率が高いのか?そう思ってAIの手順を徐々に追っていくと、
確かに局面では劣勢になりにくい変化に収束していった。
道的はここでも驚きを隠せなかった。
人ならざるものが自分を凌駕していることに何やら得体のしれない不安も感じた。

「とりあえず、今日明日は俺仕事ないから道的さんに付き合うよ」

善田の声は道的の耳に入ってなかった。
目まぐるしく変わる手の評価値を追うので精一杯だったと言っていい。
丁度夕暮れに差し掛かる頃、道的は一旦休むことにした。
その旨を善田に伝えた。

「どう?現代の碁は何か面白かった?」

善田は問いかけた。

「いやはや、私の時代とは恐ろしく変わったようです、碁盤の上だけでも驚きの連続です」

道的がそう答えると善田は今後どうしようかと考えた。
一人身で暮らしているとはいえ、道的を抱えたままだと家もせまっくるしい。
とりあえず自分が寝る場所もソファーではちと寝心地が良くない。
だが、まぁそんなことは後でなんとかなるかと考え、
まず道的をネット碁にデビューさせることを考えた。

実行は簡単だった。まずネット碁サイトに登録し、道的の専用アカウントを作った。
IDはdouteki_after350。0戦0勝0敗。スタートはここからだ。
もちろん登録時の段位は最大限に高く設定した。

「道的さん、現代の碁打ちはこの中で道的さんと同じように打っているから」
「道的さんもここで打ってみない?分からないことがあったら俺に聞いてくれればいいから」

気楽な感じで善田は道的に申し出た。

「画面の中に碁打ちがいるのですか?カラクリではなく?」

道的はまた少し驚いた様子で怪訝そうに尋ねた。

「相手も画面越しに打てるのが現代なんだよ。」
「だから道的さんと同じく相手も画面を見て打ってる」

道的はもうよく分からなかったが、
とりあえずこの時代は何でもこの画面からできることを知り、
ただ、新しい打ち方を試してみたいという欲求に駆られていた。

「んじゃ、使い方説明するよ」
「俺もあんまり使わないから一緒にやりながら教えるよ」

善田は道的の隣に座って画面を見た。
対局ルールは持ち時間10分。一手30秒、そのことを道的に伝えると道的が言った。

「現代はずいぶんと早碁なんですね」

道的は呟いた。

「これも時代の変化かなぁ。江戸時代みたいにノンビリしてないんだよね」
「それと囲碁のルールもちょっとだけ違ってる」
「コミといって白番が少し後手の代償をもらうことができる」
「現在のコミは日本ルールで六目半」
「最初から6目白がアゲハマをもらった状態で持碁白勝ちだよ」

道的は少し動揺した。

「コミ?六目半?ずいぶんと白が楽ですね、黒を持っての戦いとあまり変わらない」

道的は碁のルールまで変わっているならば戦略も変わることを察知した。

「そう、だからコミがある分、白はゆっくり打ち進めても不利にはならない」
「むしろ現代では白は積極的に打たずにコミを残して打ちたい場合も多い場合もある」
「だから白は急戦を避ける傾向にあるね」

そう善田が答えると、道的は少し考え込んだ様子で画面を見つめていた。

「じゃ、そろそろ始めてみようか」

善田が勧めると道的は頷いた。
対局を自動マッチングで進めるとすぐに相手が見つかった。
相手は日本のプレイヤー、相手の白番だった。

「こっちの黒番だ、道的さんから打ち始めて」
「昨日と同じように、打ち間違えないように気をつけてね」

相手は善田と同じく4段。早打ちの碁打ちだった。
道的は50手で完全な中押しで勝利した。

「あっけないですね、昨日の相手とは比較にならない」

道的は少し物足りなそうに答えた。

「100局ぐらい、ここで早碁で連勝すれば徐々に相手も強くなるよ」
「でも、流石に昨日のレベルまではまだ遠いだろうけど」
「続けて打つ?疲れたらいつでも休んでいいよ」

善田は軽く聞いてみた。

「この程度の相手なら50局程度打っても問題ありません」
「師との1局の方が遥かに重たい」

道的は続けて打つ様子だった。

「じゃもう少し打とうか、慣れてきたら自分で操作してみてね」
「分からないことがあったらその都度教えるから」

善田がそう答えると、道的はもくもくと打ち続けた。
大体5時間ぐらいだろうか一方的な道的の勝利が続き、連勝数28勝。
勝率100%のところで善田が声をかけた。

「そろそろ休もう。何か食べよう」

道的は目新しい碁盤にまだ少し打ちたくもあったが、
善田の提案を快諾した。
二人は食事を取っていると囲碁サイトの話を善田が振った。

「どう?対局は楽しい?」

善田が尋ねた。

「江戸時代とは全く変わった打ち方で楽しめてます」
「ただ、もう少し歯ごたえのある相手と戦いたいですね」

道的は答えた。

「まぁ勝ち続けるうちに格付けが上がって強い人と当たるよ」

善田は今後のことを考え始めた。

「明日、デカい碁会所にでも行ってみる?」
「今のプロと手合いができる場所があるんだけど・・・」

善田はせっかくなのでプロにも認めてもらおうと考えた。

「よければ、是非お願いします」

道的は答えた。

「じゃあさ、服は大体サイズが合ってるから俺の貸してあげる」
「今日は俺が道的さんの靴を買って来るよ」
「その間、道的さんはPCで好きなことしてて」

善田は道的の足サイズを計ると続けて喋った。

「色々分からないことがあったら、その時はメールして」

そう言うと善田はキーボードをローマ字入力から、かな入力に置き換え、
メールの基本的な操作を教えた。
道的は若く地頭が良いせいもあって、要領よくコツを覚えた。
1時間程レクチャーした後、メールの送受信ができるたのを確認してから善田は出掛けた。

はて?これで善田さんと会話ができる。
不思議だ。私は350年後の仙人の世界に来てしまったに違いない。
PC画面に映るメールソフトを見ながら道的は考え込んでしまった。

何から手を付けようか迷ったが、自分の本分は碁にあると思い出し、
囲碁ソフトで研究をし始めた。
現代ではコミが出る。そう考えると黒からは積極的に仕掛けねば勝機はない。
実際AI碁盤での検討も黒は能動的な作戦が多い。
黒を持って固く打つという選択肢は絞られると道的は気づいた。

1時間もしない内に善田は帰ってきて、駅前の靴屋で道的の靴を買ってきた。

「安物だけど我慢してね」

善田は恥ずかしながらもにっこり笑って玄関に道的の靴を置いた。

「まことにかたじけない」

道的は真摯なお礼を申し上げた。

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