11_試験

8月、プロ棋士の外来の予選がそろそろ始まる頃であった。

道的は相変わらず囲碁の研究に没頭し、
来る関門とまではいかないがプロ試験にも備えていた。
しかし、他のプロの芽を潰してしまうことに若干の負い目を感じていた。
だが、それもしょうがないことではある。
江戸時代の家元制度はもっと厳しかったわけだから致し方なしと考えていた。

そんな中、先日の碁会所のプロ棋士が道的との対局のライブ動画を上げていた。
それほど有名なチャンネルではなかったため、
善田が連絡を受けて初めて知ることとなった。
あの日の棋譜と道的とのやり取りが60分程の動画に集約されていた。

これをみた道的は目をキラキラさせて、現代ではこんなことができるんですね!
と、善田に感激を伝えていた。
これを皮切りに道的は本格的にプロの間で認知されていくようになる。
今度の外来ではすごいやつが来るらしいぞ、と噂にもなっていた。

善田は今後の事も考え、道的にもスマホを持たせることにした。
囲碁を打たせるつもりはなかったため、安いスマホで主に連絡用に使わせることにした。
設定は全て善田が行い、使い方も一から道的に説明した。
これも道的にとって初めての体験であり、楽しい経験となった。
何よりPCよりも直接連絡を取りやすいスマホは便利だと感じた。

恐らく対局時計も使うことになると思い、一台自宅に実物を買い道的に慣れてもらった。
もちろん日本棋院ホームページでプロ試験の要項、注意事項を一緒に確かめ、
あとは流れに任せて人に聞いていけば良いことを伝え、プロ試験外来の予選が始まった。

外来の試験が始まった。
初日だけ日本棋院に善田も同伴し、様子を伺うことにした。
次回以降は道的だけで行ってもらうことにし、
結果は見えているがスマホで連絡を取り合うことにした。

8月の外来予選が一日、また一日と続くたび、
道的の勝ちの知らせが善田の元へ届いた。

9月に入り合同予選が始まった。
ここでも道的の勝ちは一切揺るがなかった。当然である。
いくら院生や囲碁のアマチュア有力者と言えど、
碁聖道策と渡りあった若き奇才、道的の前では赤子同然である。

この間も道的は試験日以外は研究を続けており、常に棋力向上に努めていた。
まだ21歳、プロでないというだけで伸びしろは十分にある。
むしろ道的の日常で変わったことと言えば、
よく一人でフラフラ外に出掛けることが増えたことである。

近場の散歩程度で籠りきりの生活では体に良くないと思い、
スマホ持ったこともきっかけに、行ったことのない遠くまで地図をみて散歩をしたり、
目新しいものはないか散策することに興味を持ち始めていた。
流石に東京の街並みにも慣れたせいか驚くことはなくなったが、
一人で外食のランチをしてみたり、活発な行動が目立つようになってきた。

いざプロ棋士という異色の世界に飛び入りし、その世界で上手く適合できるよう、
善田も試験の時には日本棋院にたまに一緒に行くことにして、
碁界の事情を収集し、道的と共有を行っていた。
そこで、月間碁ワールドなどの書籍も購入して、道的にも勧め一緒に読むことにした。

9月後半から11月にかけてプロ試験の本戦リーグが始まった。
本来の受験者であれば緊張と気迫がみなぎる一番の大舞台だ。
しかし道的は退屈していた。
一切ブレなく打つことから、受験者からは「AI人間」と恐れられた。
しかし、相手に手心を加えて打つのは失礼と考え、真剣に打ち厳しく勝ちを拾った。

善田はプロ試験の11万の出費は正直痛いなぁと思いつつも、
道的がプロになって返してくれればいいと考え、泣く泣く貯金を切り崩した。
11月の最終日、もはや定例のごとく勝ちの知らせを聞いた善田。
とりあえず関門は突破したと考え、道的がプロになったことを祝うことにした。

善田は道的のスーツに似合いそうなネクタイとネクタイピン、
それと、以前のケーキ屋でケーキを買うと、帰ってきた道的に、

「おめでとうございます、道的先生、こちら今日のお祝いの品です」

と、言って渡した。
道的は照れ草そうに受け取り中身を確かめた。

「ありがとうございます。これも善田さんのお陰です」

と真摯な態度でお礼を述べた。

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