プロになってからまもなく、道的と善田は色々と盤外で準備することがあった。
道的のスーツも一着では足りなくなるだろうと思い、
冬だけでも計三着は揃えるようにしたり、
プロ棋士界に慣れるため、また他のプロ棋士にも素性を話せるよう
上手く自分の立ち位置をカモフラージュするよう話をまとめておく必要があった。
無所属で師匠がいない棋士という、ただでさえ特殊な立ち位置は
道的の実力と相まって一層ミステリアスな雰囲気を出していた。
道的自身はもう一人立ちできる状態にあると思い、
独立さえしないものの生計を分けて生活できるよう準備する必要もあった。
手合い日に日本棋院に出掛けていくことが日常となり、
低段戦の手合いは通うたび勝ちを拾いに行くといったことが日常になった。
善田の仕事の都合もあり、電子機器の取り扱いになれてきた道的は、
自分で手合い通知のメールを受け取り、一人で棋士活動に邁進した。
棋士同士の付き合いも生まれ始めた。
特にあの碁会所で知りあった棋士はようやく道的がプロ棋士になってくれたと喜び、
手合い日の無い日で、月に数日はあの碁会所で指導碁をしてみないか?
と誘われ、善田も問題ないと思い、碁会所のマスターも道的の来訪を喜んだ。
プロとなることで収入も発生し、今までお礼になっていた善田にお礼をしたい
と道的は進言したが、現状満足の善田はプロになるまでにかかったお金以外いらない
その代わり今後は自分のためにお金を使えるようになったのだから、
自分のお金を管理をできるようにしてほしいと頼むだけだった。
翌年1月からは天元戦のタイトル予選が始まり、他の各棋戦も順次予選が始まった。
道的は向かうところ敵なしだった。
特に白を持っての安定感が抜群であり、AIの勝率に則った戦いぶりだった。
どの対局も過去の碁豪と比べても遜色なく、全くミスを見せなかった。
まず、最初に取ったタイトルは棋戦年間スケジュールから逆算して最も早い碁聖戦だった。
Cランク予選からリーグ戦まで土つかず、挑戦手合いもストレート勝ちと内容も完璧だった。
ここで一般のアマチュアにも期待の超新星「善田 道的」と知ることになり、
道的は飛びつき7段で一気に昇段した。
善田も道的のタイトル戦の挑戦手合いの棋譜は眺めるようにしていた。
時間が合う時は他の棋士の解説実況ライブをネットから見るなどして、
道的の打ちぶりを確かめていた。
やはり道的は本物だ。プロにさせておいて良かった。と思っていた。
道的もタイトル戦で地方へ飛び回るようになり忙しい日々が続いた。
ただ、善田が最も心配していたのは道的の健康面であった。
歴史上過酷な修行で逝去したことを思い出し、少し不安が募っていた。
道的の体調面には細心の注意を払い、善田はソファーで寝ることにしていた。
善田は善田で社内のプロジェクトが忙しくなって来ており、
自分が風邪でも引いて道的に移すことの無いよう、自分の体調管理にも細心の注意を払った。
王座戦、天元戦も快進撃でタイトルを取得すると、
飛びつき九段となり。一気に三冠王となった。
碁の内容も完璧で、一流棋士も名前のまま「道的の再来」だと認識するようになった。
盤外での仕事も増えてきて、道的と善田は顔を合わせる頻度が減っていった。
道的の棋風はAIの評価値に立脚した足早やで地に辛い棋風で、
ヨミはもちろん、布石での構想力、中盤での戦闘力、終盤での収束力。全て完璧だった。
新聞はもちろん、囲碁では珍しく稀にTVで取り上げられるようにもなり、
ミステリアスな生い立ちから世間の注目を集めるようになっていた。
必然、善田にも影響が及んでおり、
善田は道的は家族であり、
幼いころからネット碁と最近ではAIによって棋力向上を図っていた、
と、苦し紛れの説明を周囲にしていた。善田自身はメディアの出演を全て断った。
道的と善田は一見上手くいっているようだったが、
ある転機が訪れようとしていた・・・
次:13_訃報