夜道を歩くということ
人生は、夜道にたとえられます。
遠くまで見通せることはほとんどなく、見えるのは足元の一歩か二歩先だけです。
それでも人は、立ち止まり続けるわけにはいかず、少しずつ前へ進んでいきます。
恐れは捨てるものではありません
ここで誤解されやすいのが「恐れ」という感覚です。
恐れは弱さでも失敗でもなく、本来は危険を知らせるための感覚です。
夜道で恐れを失えば、人は速度を上げすぎてしまいます。
速度が上がれば、足元の段差に気づかず転びやすくなります。
恐れは「止まれ」という命令ではありません。
「慎重に進め」という合図です。
試行とは、賭けではなく確認です
夜道を進むときに必要なのは、勇気よりも調整です。
足元を確かめながら、戻れる範囲で一歩ずつ試していくことが大切になります。
踏み出してみて違和感があれば引き返し、
問題がなければ、もう一歩進む。
この小さな試行を繰り返すことで、進める範囲は自然に広がっていきます。
ここでいう「試す」とは、賭けることではありません。
すべてを差し出すことでも、覚悟を誇示することでもありません。
失敗しても回収できる形で行う、小さな確認作業です。
試し続けることでしか見えない地点があります
ただし、人生にはもう一つの局面があります。
何度も試し、確かめ、戻り、調整を重ねた結果、
これ以上は試しようがなく、選択肢がほとんど残らない地点です。
そこでは、「試す」こと自体ができなくなります。
残るのは、跳ぶか、跳ばないかという判断だけです。
最後の判断は、どちらを選んでも間違いではありません
この段階での決断は、軽率な賭けではありません。
十分に試行を重ねたうえでの選択だからです。
跳ぶと決めることも、跳ばないと決めることも、
どちらも同じ重さを持った判断です。
それは逃げでも無責任でもなく、状況を見極めた結果の「英断」と言えます。
重要なのは、勢いや理想ではなく、
試行によって得た感触を踏まえて選んでいることです。
恐れと試行は対立しません
恐れは敵ではありません。
歩き方を調整するための感覚です。
試行は、その感覚を現実の中で確かめる方法です。
恐れを抱えたまま試し、
試し尽くしたところで決断する。
この流れそのものが、生きる上での自然な運動なのだと思います。
人生とは、光に向かって走ることではありません。
暗がりの中で足元を確かめ、進めるところまで進み、
どうしても越えるしかない地点に来たときだけ、静かに踏み出すことです。