与えることで得る:超合理主義という視点

人はなぜ「利」を求めるのか?

基本的に人は、何かしらの「利益」を求めて行動しています。
これは古代中国の思想にも見られる「功利主義」と呼ばれるもので、人間の基本的な動機の一つとされています。

もちろん、その最終的な利益は「自分自身」に帰結します。
しかし、そのプロセスの中で人の行動には大きな多様性が現れます。

利を求める手段に差が出る理由

なぜこのような多様性が生まれるのか?
理由のひとつは、人間がもともと一人ひとり異なる、ユニークな存在であること。
もう一つは、「利益」の獲得手段にレベル差があるからです。

たとえば、多くの人は自らの生命を簡単に投げ捨てることには強い抵抗を持っています。
これは当たり前のことのように思えますが、それこそが遺伝子レベルで組み込まれた「損失回避」への本能なのです。

つまり私たちは、「利益を得る」だけでなく「損失を避ける」ためにも動くということ。
これも広義の功利主義に含まれる考え方です。

「利」とは何か?

では、「利益(利)」とは何を意味するのか?
単純に言えば、「最終的に」自分が得をする行動のことです。

ここで重要なのは、「最終的に」という点です。
人によって「どこがゴールか?」の認識が違うため、判断が非常に曖昧になるのです。

短期的な得と長期的な損

極端な例を挙げれば、詐欺や搾取といった犯罪行為も、短期的には「得」と言えるかもしれません。
しかし、こうした手段には「長期的な損失」という重大なリスクが伴います。

なぜなら、この世界にはある明確な法則が存在しているからです。

「与えたものが返ってくる」

──与えたものが返ってくる──
このシンプルで厳然たる仕組みが、この世界には確かにあります。

この法則を本当に理解しているかどうかで、人の行動原理は大きく変わるのです。

合理主義を突き詰めると、一見非合理に見える精神的な行動こそが、
結果として最も「合理的」だったという逆説に辿り着きます。

超合理主義

私はこれを「超合理主義」と呼びます

この超合理主義の立場に立てば、まず「人に何かを与える」という行動を重視するようになります。

それは物質的なものとは限らず
自分の時間技能、あるいは温かい態度といった形で現れるかもしれません。

最小の投資で最大のリターン

この視点を持つと、非常に効率的なテクニックも生まれてきます。

たとえば、最も貧しい人にお金を与えるという行動は、
最小の投資で最大のリターンが期待できる行為です。

なぜなら、彼らにとってお金は非常に価値の高いものだからです。
それを与えられる人間には、いずれ別の形で貴重な何かが返ってくるという仕組みが動き出します。

与えることは、受け取ること

考えてみれば、こうして私が精神的な知見や技術を現代の方々に教えているということも、
一つの「与える行為」であり、同時に自分への報酬が準備されている行為なのかもしれません。

面白いことに、この地球という混沌とした舞台には、
逆にさまざまな「真の利得」の種が散らばっている──
そんなふうに感じる瞬間があります。

精神的投資の理由

私はもしかすると、この大変な精神的投資をするために、
自ら望んで地球に生まれてきたのかもしれません。

うーん……
やっぱり、世の中って奥が深くて、よくわかりませんねぇ。

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