人の価値とは何か
人の価値は同一であって、同一ではありません。人はそれぞれ違う存在であって、同一の存在という不思議な側面があります。それは見方によっては、同一であり、また同一ではないからです。
人の価値は「皆同じ」であるという見方
人の価値が皆同じである、という見方は正しいといえます。我々は同じ要素から出来ており、一人一人が素晴らしい個性を持っているからです。だから、どんなに偉大な人物も、どんなに愚かに見える人物も、等しく素晴らしい存在であるということが、度々偉大な師たちによって伝えられてきました。
人の価値は「それぞれ異なる」という見方
一方で、人の価値が同一ではないという見方も、やはり正しいのです。我々はそれぞれに負けない素晴らしい個性を持っています。しかし、その素晴らしい要素を活かしているかという点では、個人差が極めて大きいのが現実です。ある人は自分の個性を活かし、人生を楽しみ、世界に貢献しているかもしれません。逆に、ある人は自分を殺し、社会に悪意を向けているかもしれないのです。
人は宝石の原石である
我々の価値は、宝石の原石に例えられます。人はそれぞれ、個性という宝石の原石を持っています。しかし、それをよく磨いているか、それとも全く曇ったままにしているか。その差によって、見かけ上の「価値」が大きく変わって見えるという見方もあります。だから我々は皆等しく宝石を持っているという見方もできるし、その輝きには大きく違いがあるという見方もできる。その両方の視点が成り立つからこそ、「人の価値は同一であって、同一ではない」ということが言えるのです。
誰もバカにすべきではない
だから私は、本来どんな人間もバカにするべきではないと考えています。例えば仮に、あなたが今バカにしている人間がいたとしましょう。ですが、その人間は実はとても美しい宝石の原石を持っているのかもしれません。今はただ、それが曇って見えているだけだとしたら、どうでしょうか。曇っているだけなのであれば、今は見下せても、明日は分かりません。
囲碁の実感から
私は趣味の囲碁においても、相手が弱くても決してバカにしません。むしろ「相手の良いところを勉強させてもらう」という気持ちでいつも臨んでいます。相手は今は弱いというだけで、その人間の碁の本質的な価値とは関係がないからです。
自分も、他人も磨くこと
そして、人の原石は機会があれば、なるべく磨いてあげる方が良いと思います。その人を磨くことで、あなた自身の原石もより一層輝きを増すからです。人は本来、磨けば美しいもの。だからこそ、自分を磨くことを怠るべきではないのです。