私が囲碁を覚えたのは小学校高学年の時、当時流行っていたヒカルの碁から入門に至った。
囲碁というゲームはシンプルながら入門のハードルが高く、
一般的には有段者クラスから直接指導を受けないと覚えられない。
それを解決してくれたのがゲームボーイアドバンスで発売されたヒカルの碁であった。
当時、私はヒカルの碁のゲームに夢中になった。
石を繋げただけでピカリッと光る演出や、
局面が変わる度にキャラクターの表情や盤面の背景が変わる演出がとても楽しかった。
もちろん入門者が一人で碁を覚えることが出来るほどの低難易度から始まり、
当時は全く意味不明だった詰碁なども完備していた最良のソフトであった。
中学に入ってからはYahoo囲碁で実際の19路盤で打ち始め、
あまたの熟練者に揉まれて育つことになった。
特に思い出深いのが、19路ではなく9路で絶対に勝てない人とぶつかったことだった。
相手が黒を持ち盤中央の高目に構える、白の私はなすがままにやられてしまうのだった。
高校に入ってからは珍しく囲碁部のある高校に進学することになる。
ここで当時、碁会所指標6段の恩師と出会い、碁の考え方を教わることになる。
現在は連絡を取り合う仲ではないが、
今でも碁のなんたるかを碁の手と検討で教えてくれた恩師には感謝している。
その最中、囲碁の画期的革命という題目を謳った天石流に出会うことになる。
今でこそ論破できてしまうような非常に怪しい宗教的手法なのだが、
当時の私はこれに感化され、天石流を必死に学ぶこととした。
もうWebサイトも残っていないが、天石流のサイトに登録し、
そこでプロに2子で勝負できる天石流の開祖の方からネット上で直接指導を受けた。
今でこそ、高校当時の恩師に変なものにかぶれたからな。と釘を刺された程であったが、
AIの発達により天石流の双葉が潰れてしまったのは惜しいと感じる。
大学に入ってからはオンラインゲームにハマってしまい、
不摂生な生活を続け、それをきっかけとして統合失調症を発症してしまう。
そして中退後、病気の寛解が近づくに従って、
碁会所で遊ぶことを思いつき、新宿にあった碁会所に通うことになる。
一年程、二週に一回程度、顔を出すうちに棋力が上達していき、
女流プロとの多面指導碁で3子の手合いまで進むことになる。
その後はPCの碁が強くなってきており、
モンテカルロ法というディープラーニングの前にあった画期的手法により、
棋力が最高6段格まで通用する囲碁ソフトとの対局に夢中になる。
丁度私の棋力とPCの棋力がリンクしたように切磋琢磨で勝つという段階に至る。
その後、2016年から発達したディープラーニングというAI技術により、
プロを越えた棋力を持つ囲碁ソフトが手軽に自宅で楽しめるようになった。
しかし、今でもプロ棋士の尊厳は変わらない。
それは囲碁を教えるという点において、検討という重要な作業が抜けているからである。
AIがなぜその着手が悪いのか?あるいは良いのかを言葉で説明できないからである。
ただし、これが出来るようになったとしても人と人との関わり合いと、
人類の知恵を競うという点においてプロ棋士の尊厳は守られるだろう。
今は強すぎるAIと19路盤で戦うのはいささかくたびれるため、
13路盤で囲碁の本質を掴もうとしている段階である。
本当に私は時代に恵まれた。
ヒカルの碁とPCの発達がなければここまでの道のりは無かっただろう。
ヒカルの碁の作者とディープラーニングを囲碁に体現したGoogleにはただただ感謝している。
ここまでが私の囲碁との関わりの歴史であるが、
碁を楽しむという一点において、また囲碁から様々なアイディアをいただいたことについて、
私は本当に満足できる道を歩んでこれたと思っている。
それはこれからも続いていくだろうし、生涯を通して楽しめる息の長い趣味となった。
長文となったが、ここまでご覧いただいた方にはありがたいと感じる。
そして可能ならばヒカルの碁のような漫画を見て、囲碁の楽しさを知ってもらえたらと思う。