この世界をじっくり観察していると、宇宙を創造した存在、すなわち創造者の“意図”のようなものが、ふと垣間見えることがあります。その中でも、特に興味深いのが「絶対的な正解が与えられていない」という事実です。
絶対解なき世界の構造
私たちが日常で目にする物事――男女の優劣、暑さと寒さ、明るさと暗さなど――どれも一概に「こちらが正しい」と断言できるものではありません。
たとえば、「男性のほうが女性より優れている」とは言えないし、逆もまた然り。暑さが寒さよりも良い、明るいほうが暗いよりも良いと決めつけることもできません。どの側面にも利点と欠点があり、状況や価値観によって評価は変わる。これは偶然ではなく、明らかに「意図的に」そのように設計されているように感じられるのです。
絶対解がない理由とは?
創造者がなぜ「絶対解」を避けているのか? その理由は、「選択肢の幅」を残すためではないかと私は考えます。
簡単な例を挙げましょう。
Aスーパー:商品は安いが、家から遠い
Bスーパー:商品は普通の価格だが、家から近い
このように利点と欠点が混在していれば、その時々の状況で選択が変わり、多様な選択肢が生まれます。ところが、
Aスーパー:安くて近い
Bスーパー:普通の価格で遠い
となると、もはや選択肢ではなくなり、A一択になってしまいます。
スーパー程度なら利便性の向上で済みますが、これが「宇宙の本質的な構造」だったとしたらどうでしょう? すべてに絶対解があれば、人の行動や価値観は一方向に固定され、世界は急速に画一化していくでしょう。
つまり、創造者は「多様性の維持」を重視しているのではないか、と推測されるのです。
混沌が生み出すバランス
私たちの世界には、「正直者がバカを見る」「憎まれっ子、世にはばかる」などの諺が存在します。これらは一見、理不尽に思えるかもしれませんが、もしその逆に、
正直者ばかりが報われる
善人ばかりが成功する
という絶対的な構造があったとしたら、人は皆善人になろうとし、悪人の存在は消えてしまうでしょう。それが本当に「良い世界」なのでしょうか?
創造者の視点から見ると、善人には善人の、悪人には悪人の利点と欠点が存在することで、初めてこの世界の多様性が保たれていると考えられるのです。
その結果、私たちの人生は常に「利点と欠点」「楽しさと苦しさ」の両面を内包した、バランスの上に成り立っています。
世界は偶然に生まれたのか?
このような精緻なバランス構造を見ると、私はとても「偶然に生まれた宇宙」とは思えません。
それは、どんな選択にも意味があり、どんな生き方にもメリットとデメリットがあるという絶妙な調整がなされているからです。創造者がどれほどの知恵と工夫をもってこの世界を設計したのか――私には正確には分かりません。しかし、明らかなのは、
この世界は、絶妙なバランスによって保たれている一つの創造物である
ということです。
終わりに
私たちは、自分にとって最適な生き方を選ぶ自由を与えられています。その自由が成り立つのは、この世界に「絶対解がない」からこそ。
「どのように生きても、それが一つの人生になる」
この宇宙において、そんな当たり前のようで深い真理に、私たちは支えられているのかもしれません。