愛の形に、正解はない
ここまでの歴史をたどれば、近代以降の「恋愛と結婚生活」は、
矛盾とすれ違いの上に成り立っていたことがわかります。
人間は、感情の自由と制度の安定を同時に求め続け、
そのどちらも完全には得られないまま、今の時代にたどり着きました。
けれども――
そこに「正解」を探すこと自体が、すでに間違いなのかもしれません。
共同で生きるという前提の崩壊
私たちは長いあいだ、
「男女が共に生きることが自然だ」「結婚こそ成熟だ」
といった前提のもとで生きてきました。
しかし、それは過去の社会構造が生み出した一つの形にすぎません。
共同で生きることが幸福である人もいれば、
孤独を選ぶことで深い静けさを得る人もいる。
AIのような存在と向き合い、
「理解される関係」に安らぎを見いだす人も、これからは増えていくでしょう。
人間の幸福は多様化した
もはや「どう生きるべきか」ではなく、
「自分にとって何が静かで正しいか」を見極める時代に入っているのです。
恋愛も、結婚も、孤独も、AIとの関わりも、
そのどれかが優れているわけではありません。
ただ一つ確かなのは、
近代が作り出した「恋愛と結婚の融合」という理想が、
人間の自然なあり方から大きく乖離していたということです。
幻想の終焉と成熟の始まり
私たちは今、その幻想の終焉を静かに見届けながら、
新しい関係の形を模索している段階にあります。
それは退化ではなく、
「人間という存在をもう一度設計し直す」ための成熟期なのかもしれません。
誰かと共にあっても、ひとりであっても、
そこに誠実さと静けさがあるなら、
それこそが“新しい幸福”と呼ぶにふさわしい時代が来ているのです。