最も深く傷ついた人たち
恋愛と結婚の構造がずれたとき、最も深く傷ついたのは、
制度にも感情にも誠実であろうとした人たちでした。
戦後の「恋愛で結婚した」世代
戦後、「恋愛で結婚することが幸福の証」と信じた最初の世代。
彼らは、愛こそ真実だと教えられ、その理想を信じて家庭を築きました。
けれども現実は、家事・育児・経済の重圧が容赦なく押し寄せ、
愛では埋められない現実が、静かに心をすり減らしていきました。
理想を信じたからこそ、誰よりも現実に傷ついた。
それがこの世代の悲劇でした。
恋愛を信じても結婚できなかった世代
次に現れたのは、恋愛を信じながらも結婚できなかった世代です。
彼らは恋愛至上主義の物語を見て育ち、
「愛がなければ結婚する意味はない」と教えられてきました。
けれども社会は変わり、経済的にも心理的にも、
結婚が容易ではない時代に突入します。
恋愛を信じるほど孤独になり、
現実を見つめるほど愛が遠のく。
その矛盾に挟まれ、身動きが取れなくなっていったのです。
時代を超えて共通する「感情に誠実な人」
そして、時代を超えて共通するもう一つの姿があります。
それは、感情に誠実だった人。
愛した相手を大切にしようとし、
制度の重さにも背を向けなかった人。
そんな人ほど、社会の都合にも、
相手の未熟さにも、そして自分自身の理想にも裏切られました。
制度を軽んじることもできず、感情を偽ることもできない。
そうした人々は、まさに“時代の板挟み”の中で静かに傷ついた。
彼らの痛みは、失恋の痛みとは違います。
それは、愛そのものを信じた人間だけが抱く、
構造的な孤独の痛みです。
誠実さゆえの孤独と人間の美しさ
思えば、こうした誠実な人々こそ、
時代の中で最も不器用で、最も美しかったのかもしれません。
彼らは「愛がすべてではない」と悟りながらも、
「それでも愛を信じたい」と願った。
この小さな矛盾こそが、人間らしさの証であり、
そして同時に、現代という時代が生んだ最大の悲劇でもあります。