切り捨てるなら、切り捨てられる覚悟を
他者を一方的に切り捨てる人間は、いずれ他者から一方的に切り捨てられます。他者を批判する人間は、いずれ他者から批判され、他者を苦しめる人間は、いずれ他者から苦しめられる――。
これは単なる道徳ではなく、精神世界における因果の基本原則でもあります。人にしたことは、自分に返ってくる。それは昔から、賢者たちによって繰り返し説かれてきたことです。
自分に帰ってくるもの
精神世界では、「他者への行為は、すべて自分への行為である」と言われます。これは単なる比喩ではなく、人生経験の中で多くの人が気づいている真理です。えたものは、いつか必ず形を変えて自分の元に戻ってきます。良き行いも悪しき行いも、見えない法則によって巡るのです。
特に恐ろしいのは、この法則が「目に見えない形で働く」ことにあります。もし他者を切り捨てたときに、即座に自分の未来が暗転する映像が見えたなら、多くの人は安易にそうした行動を取らないでしょう。ですが現実はそうではありません。因果は静かに、そして確実に巡ってきます。
宇宙の網からは逃れられない
ですから、もし他者を一方的に切り捨てるのならば、「自分もまた切り捨てられる覚悟」が必要です。それを受け入れる覚悟がなければ、いずれ後悔することになるでしょう。
ここで「自分だけは特別」と思い込むのは、極めて危うい発想です。宇宙には「ひいき」も「見逃し」もありません。悪徳をうまく隠し通せたとしても、それは単なる時間稼ぎに過ぎません。例えるなら、利子だけ膨らむ借金を延命しているだけのようなものです。
誠実に生きることが、結局もっとも賢い
人を欺くことができたとしても、宇宙の法則は絶対に欺けないのです。宇宙の網は一見、緩やかで見逃されているように見えますが、いずれ必ず「決済の時」は訪れます。
ですから、誠実に生きることが本来は何よりも賢い選択なのです。仮に悪徳を重ねて成功したように見えても、それは一時のこと。 時間が経てば、その成功の裏で見過ごされた苦しみの分だけ、報いが訪れるでしょう。それは肉体が滅んでも逃れられるものではありません。
私が信じる因果のバランス
私は地獄の存在を信じているわけではありません。この話は宗教的な脅しや罰ではなく、因果応報という自然なバランスの話です。
宇宙の仕組みは非常に公平で、誰も見ていないように見えても、与えたものが自分に返るという摂理が確かに働いている―― だからこそ私は、他者を切り捨てる前に、「それがいずれ自分にどう返ってくるか」を思い出すようにしています。