統合失調症体験記。瞑想の危険性。瞑想による統合失調症の病状の変化について。

今回も統合失調症体験記を書きたいと思います。

これまでの経歴

まず、私は二度ほど統合失調症の急性期(発症)を体験していますが、
いずれも最終的な原因の一つが瞑想のせいです。

これも一つのカミングアウトですが、私は仏教系の信仰を持っています。
そのおかげで、瞑想で死にかけては信仰に助けてもらってます。
病気の初発はオンラインゲームのし過ぎで、
ゲーム内のクラン内で大喧嘩して止めたことが原因で、
その後、ある仙道(神秘行)系の書籍に出会ったことで瞑想にハマりました。

瞑想中は心地よく時間が過ぎ、誰とも葛藤を生まずに済み、
自分にとっては楽な時間でした。
しかし、瞑想を続けるに従ってドツボにハマることになります。

元々凝り性のせいもあり、何事も真剣に取り組む性格だったため、
瞑想を続けすぎて頭がおかしくなってしまったのです。
幻聴が聞こえたり、幻覚が見えたり段々と様子がおかしくなりました。
それでも異常だと思わなかったのは当初何も考えていなかったせいです。

そこから実家の仏教系の信仰を無自覚に意識するようになり、
祈りの時間も生活の中に取り入れていました。
もし、この時間が無かったら私は既に亡くなっていたでしょう。

病気が発症してからは瞑想を止め、祈りの時間のみに集中することになります。
そのお陰もあって病状は急速に回復することになります。
最終的には安定した社会生活が送れるまでになりました。

しかし、またここで欲が出ます。
もう一度、どうしても0から瞑想を極めてみたいと思ってしまいます。
再度瞑想にハマった私は自分の限界量を越えて活動できるようになりました。
しかし、ここでまたしても幻聴が聞こえるようになります。
この時も危険には思いませんでした。
統合失調症の病気の自覚(病識)は非常に薄いものなのです。

結果的に私は再び祈りの時間を無意識に生活に取り入れていました。
そして、病気の再発を迎えることになります。
この時は絶大な恐怖を感じたことを強く覚えています。
結果的に瞑想をすると調子が悪くなるか、嫌なことが起こる体質になりました。

現在の状態

現在では祈りの時間のみ行うようにして、瞑想は一切手を出していません。
当初は別ブログでも独自の瞑想法を紹介するほど極まっていた私ですが、
瞑想では危険から離れることができないことを悟り、ブログを閉鎖しました。

統合失調症になる人は全人口の0.7%なので、全ての人に当てはまるとは限りませんが、
ブログ公開時、私にメールをくれた方も同じ状態に悩まされていました。
つまり、瞑想は極めるほど危険が増していくものであり、
取り扱いが非常に難しく、それこそ山で自給自足する仙人のような生活でもない限り、
安定した状態は保てないと言うのが私の結論です。

これから瞑想をするか考えている人へ

最近では瞑想を安易に勧めたり、導入したりするケースが見受けられますが、
全く危険性を理解していないとしか言いようがありません。
私のように命に関わるケースが存在するからです。

といって私は仏教系の信仰を勧めることもしません。
覚悟の無い人間の背中を押すことはできないからです。
ですからどの宗派ですかとか、どうすれば良いですかという質問は受けられません。
ただ私は日に1~2時間祈ります。これだけは確実に効果がありました。
瞑想が原因の統合失調症を寛解させてくれたのも祈りの力だったからです。

これから瞑想をしたいと思う人は良く考えてみてください。
私は経験者の観点から絶対にオススメしません。

ブログ主が運営しているゲームです。
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