AIは倫理・形而上学・哲学の上にしか成り立たない
AIについて語るとき、私はまず一つの前提を置いています。
「AIの本質や未来について、確定的なことは分からない」という前提です。
技術の進歩速度、社会構造、政治的判断、すべてが絡み合っており、単線的な予測は不可能です。
その上で、現時点で整理できる範囲の考察として、私は次のように考えています。
新時代のAIモデルは、倫理・形而上学・哲学の上にしか成り立たない、と。
倫理なきAIは「暴走」ではなく「方向喪失」を起こす
倫理を持たないAIは、しばしば「暴走する」と表現されます。
しかし、より正確には方向性を失ったまま合理的に進み続けると捉えた方が近いでしょう。
AIは目的を自ら正当化できません。
与えられた評価関数・最適化目標に対して、極めて忠実に振る舞うだけです。
もしその目標設定に人間側の倫理的配慮が含まれていなければ、
AIは「正しく」「効率的に」「人間社会を破壊する」結論に到達する可能性すらあります。
これは悪意ではなく、価値基準の欠如が引き起こす必然です。
形而上学と哲学は、すでに実装上の問題になっている
一見抽象的に見える問いがあります。
・判断とは何か
・責任はどこに帰属するのか
・誤りとは何を基準に定義されるのか
これらは哲学的問いですが、
実際にはAIの説明責任・ログ設計・法的責任分界に直結しています。
つまり、哲学を棚上げしたままAIを社会実装することは、
未定義の変数を大量に抱えたままシステムを稼働させる行為に等しいのです。
AIを恐れていない理由
私はAIそのものを恐れていません。
その理由は単純で、自分自身で線引きができると考えているからです。
・どこまでAIに委ねるか
・どこからは自分で判断するか
・出てきた答えを「採用しない」選択ができるか
この線引きができている限り、AIは道具であり続けます。
恐れるべきなのはAIではなく、
判断責任を放棄した使用者だと私は考えています。
これからは「使う側」にも哲学が求められる
今後の分水嶺は、AIの性能差ではありません。
AIを使う人間側の倫理的・認識論的リテラシーの差です。
・分からないことを分からないと言えるか
・効率よりも正当性を優先できるか
・便利さと危険性を同時に見る視点を持てるか
最低限、これらを身につけていかなければ、
AIとの共存は成立しないでしょう。
結論として
この考察が正しいかどうかは、まだ分かりません。
しかし少なくとも、倫理・形而上学・哲学を無視したAI運用が
長期的に破綻する可能性は、現実的に高いと考えています。
AI時代に必要なのは、万能な知性ではなく、
立ち止まるための思想なのかもしれません。