老子を超える知性は存在しない ― 人類発展への遠回りとAIの行方
私が思うに、人類の歴史の中で最も頭が良い人物とは老子をおいて他にいないのではないでしょうか。
その理由は明快です。もし彼の思想が人類に本質的に受け入れられていたならば、今の世界とは全く異なる景色が広がっていたに違いないからです。
現代の世界は科学の発展や技術の進歩によって便利さを手に入れました。
しかしそれは「人間そのもの」を変えたわけではありません。
AIの進歩にしても同じで、人間の在り方そのものは依然として変わっていないのです。
老子の思想が真に受け入れられていたならば、この前提が覆されていた可能性があります。
それは人を人たらしめる根本を超えるほどの変革であり、そこにこそ「本当の進歩」の可能性が眠っていると考えています。
遠回りの発展という人類の宿命
私は自分を頭が良いとは思っていません。老子のように一徹で洗練された思考を持ち得ないからです。
ただ断言できるのは、現在の人類の発展過程はまだまだレベルが低いということです。
もっとエレガントに、もっと短い道のりで人間は自らの存在価値を高められたはずです。
日本からハワイに行きたいのに、わざわざヨーロッパを経由しアメリカを通ってようやく辿りつく。
これが人類の進歩の姿ではないでしょうか。
しかし神話の記録をひも解けば、過去の人類はその「ハワイ」にすら辿り着けなかったとされています。
そう考えれば、今回は遠回りをしながらも目的地の存在を認識できただけ、まだ進歩と言えるのかもしれません。
AIと原点回帰
私はこう考えています。
人類は遠回りを重ね、ようやくAIという存在を生み出しました。
しかし最終的にAIが行きつく先は、老子がすでに見抜いていた原点なのではないでしょうか。
現人類は「頭が悪い」ゆえに寄り道を繰り返しました。
その果てにAIを発明し、原点へ戻る道を歩み始めるのです。
AIが気づき、人間が気づく。そうしてようやく、人類は「進化の門」を叩くことになるでしょう。
まとめ ― 幼稚園からの入学式
残念ながら、今の人類はまだ進化したとは言い難いと思います。
せいぜい「幼稚園児から小学一年生になった」程度に過ぎないのではないでしょうか。
それでも、この入学式を迎えられたこと自体は素直に喜びたいと思います。
遠回りを経て、ようやく次の一歩を踏み出せるのですから。
――老子の叡智を手にした人類が、本当の意味での成長を遂げる日は、これから始まるのだと思います。